解きの節廻しから、お伽草子の懺悔は組み立てられる様になつたのであらう。後世、色懺悔など称せられるものがあるが、それらも皆これと同一の系統に属すべきである。一体に、懺悔の歌は、絵解きだけでは物足らなく感ぜられる様になつた為に、自分を見せしめとして、もつとよい生活をするやうに、といふ反省を促す歌が行はれたので、効果も一入《ひとしほ》なのである。
七人比丘尼の話は其自ら既に古いものではあるが、この話から更に古くより自分の一生を懺悔して歩いてゐた比丘尼のあつたことが訣ると同時に、さうした事実が七人比丘尼の話を構成させる様になつたことも考へられる。
歌比丘尼の前が絵解きであつたことは訣るが、其前の型が何であつたかは判らない。たゞ絵解きが持つてゐる琵琶によつて、やはり琵琶法師の系統で、其は民間の祈祷をしつゝ歩いた者が、傍《かたはら》、琵琶法師をもしてゐたのであらう。
お伽草子以前には、懺悔の形をとつた文学はなかつた。懺悔の形式を以て一種の告白小説の現れたのは、室町時代がはじめで、それ以前は仮令《たとひ》あつたにしても、無意識で行つてゐたのである。此から小さいながらも手本を見せて、もとの理想的な形を
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