つてかうした勧進比丘尼となつたことが訣る。そして勧進比丘尼はつひに遊女の如き生活をするものに堕ちた。こんな職業が、男から女に移るのは自然の行き方で、「一代男」などでは釜祓へが女の姿で現れてゐるが、これも元は男なのである。
相《アヒ》の山も此一種で、簓《サヽラ》を持つて門附けをして歩いた。上方唄にも其文句は残つてゐるが、行基が作つて相の山で謡はせたといふ伝へがある。此も男がするのが本態である。伊勢の相の山にお杉・お玉の二人がゐて、客の投げる銭を面で受けとめたといふのは、民間の門附けと共に却つて潰れた形なのである。相の山はまた伊勢の川崎音頭の源流でもあり、おなじく古い伊勢踊りも、こゝに胚胎してゐる。相の山にも古くは必、絵解きがあつたに相違なく、それから比丘尼も出て、相の山ともなつたものであらう。だから、もと相の山が男であつたのも訣るのである。
室町時代の初期から徳川時代の初期にかけて行はれたお伽草子と、かうした歌比丘尼の為事との相違は、文字に書き現されてゐるかゐないかといふだけで、どちらも地獄極楽を説き、懺悔の物語をしてゐる点は、同じである。お伽草子のすべてとは言へぬにしても、その一方面に
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