『かげろふの日記』解説
折口信夫

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)瞳《メ》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)黒|瞳《メ》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)うつ/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

     堀君 一
[#ここから2字下げ]
唐松の遅き芽ぶきの上を
夏時雨 はるかに過ぎて――
 黄にけぶる 山の入り日
[#ここで字下げ終わり]

     堀君 二
[#ここから2字下げ]
冬いまだ 寝雪いたらず
しづかに澄む 水音。
 君ねむる。五分 十分――。
 ほのかなる けはひののちに、
 おのづから ※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]をひらく。
日のあたる明り障子
たゞ白じろと ひろがり
見し夢の かそかなる思ひに つゞく
[#ここで字下げ終わり]

     堀君 三
[#ここから2字下げ]
みつまたの花咲く日
山原を 行きしかな。

山の戸をあけたる娘の
家こそは 小かりしか

もの言はぬ娘の
黒|瞳《メ》の 冴え/″\と小かりしか

みつまたの花咲く道をくだり
うつ/\と 若きはたちを歎きたりけむ
[#ここで字下げ終わり]

     堀君 四
[#ここから2字下げ]
村の子を 友として
遊べとぞ 君を思ふ。

さ夜ふけて、枕べに
ほの/″\と 清きくれなゐ――。
 げん/\の花茎を
 見出でなどして――
 君が心 いよ/\たのしくならむ。

村の子を 友として遊ばねど、
たゞ清き生きものなる
村の子は、君が心を知りて
 瞻《マモ》るらむ。君が門を――
 君がゐる ※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]のあかりを――
[#ここで字下げ終わり]

     山居
[#ここから2字下げ]
山深き小鳥の声は、
しづかなり――。あまりしづけく
真昼間は 心とよみて、
起きがたく ひとりあらむ
[#ここで字下げ終わり]

私はまづ、堀君に感謝したい。
「愛する」では言ひ足らぬ――、魂の一部分が、そこに預けてあるやうな、親しい大和――其から山城の野山・村々、其よりも更にそこに佇み、立ち走り、蹲つてゐる姥や娘、又は若者たちに、優しい一瞥――ばかりでなく、思ひあまつて、いつまでも彼等の心に残るやうな、静かな声をかけて通り過ぎて行つた旅人――堀辰雄に、「ありがたうよ」と言ひかけずに居られない気がする。

堀君の旅は、あり来りのたゞ[#「たゞ」に傍点]の道を通つて行つてるとしか見えない。其でゐて、我々の思ひもかけぬ道の辻や、岡の高みや、川の曲り角などから、極度に静かな風景や、人の起《タ》ち居《ヰ》を眺めて還る。
さう言ふことが、この人の見た日本の過去の文学の上にもあつて、「堀君」「堀君」と沢山《タクサン》さうに、友だち扱ひにしてゐるのが、すまない気持ちになることが、始終ある。
堀君ばかりは、健康が順調になつても、やつぱり今のやうな生活をしてゐるに違ひない。さう思ふ程、ちつとも易へやうのない生活をして来た人である。
堀君を思ふと、まるで自分の追憶のやうに、若い堀君の、その時々が浮んで来る。落葉松の林に雨が過ぎ、はんがりや[#「はんがりや」に傍線]の娘などの自転車が、沢《サハ》の中に光つて隠れて行く――軽井沢。そこに、子供ばなれのした頃から、しぼます[#「しぼます」に傍点]ことなく持ち続けてゐた清らかな恋ごゝろ――。此が皆、堀君の抱いて来た文学の姿ではなかつたか知らん。
東京も、大川向うで育つた堀君が、北信州の山野に、幾年もがゝりで求めたものは、何だつたらう。其をはつきり指摘しようとするのは、無|貪著《トンヂヤク》すぎる気がする。其を姑らくかう言つておいてはいけないだらうか。浅間|表《オモテ》の木の葉や、草の光り、水のせゝらぎ、鳥の飛び立つ翼の音――さう言ふ感覚を漉して来ないでは、ふらんす[#「ふらんす」に傍線]の王朝文学を、そつくり[#「そつくり」に傍点]うけとることの出来ない訣があつたのだらう。謙虚な心の堀君は、固よりそんなことを思うた筈はない。が、さう言ふ生活の重複があつて、さう言ふ所から、日本の王朝時代が、正しく見えて来た堀君だと思へば、其でよいだらう。
一人を褒めるのに、も一人をけなす[#「けなす」に傍点]と言ふ行き方は、甚だ不幸な方法で、私などは、其をせぬ[#「せぬ」に傍点]ことにしてゐるのだが、今の場合あまり適切に、一言二言で言ひきつてしまふことが出来るから、さう言ふ見方をさせて貰ふ――のだが、過ぎ去つた芥川龍之
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング