「ほ」・「うら」から「ほがひ」へ
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)糶《せ》り

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)忽然|幽界《かくりよ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「扮のつくり/瓦」、第4水準2−81−13]

 [#…]:返り点
 (例)云[#(フ)][#二]加武保佐枳保佐枳々[#(ト)][#一]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)高天[#(个)]原

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
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ほぐ[#「ほぐ」は罫囲み]・ほがふ[#「ほがふ」は罫囲み]など言ふ語は、我々の国の文献時代には、既に固定して居たものであつた。だから、当時の用例を集めて、其等に通じた意味を引き出して見たところで、其は固定し変化しきつた不完全な表現を持つたものばかりである。其等の用例に見えた若干づゝの違ひが、段々原義に糶《せ》りつめて行くやうである。
「志ゞま」を守る神の意向は、唯「ほ」によつて表される。その上一旦、「志ゞま」の破れた世になつても、「ほ」を以て示す事の屡《しばしば》あることは、前に述べた。
我が文学なる和歌に、「ほ[#「ほ」に傍点、罫囲み]に出づ」「ほ[#「ほ」に傍点、罫囲み]にあらはる」「ほ[#「ほ」に傍点、罫囲み]にあぐ」など言ふ歌詞が、限りなく繰り返されてゐて、その根本の意義はいまだに漠としてゐる。必学者は秀《ホ》や穂《ホ》を以て解決出来た様なふりで居る。併し、ほぐ[#「ほぐ」は罫囲み]と言ふ語の語原を説いた後に思ひあはせれば、今までの理会は妙なものであつた事に心づく事と思ふ。「ほにあぐ」の方は帆に懸けてゐる類のもあるが、大抵は皆忍ぶる恋の顔色に出る[#「忍ぶる恋の顔色に出る」に傍線]・外側にうち出す[#「外側にうち出す」に傍線]と言つた意味に使うてゐる。
だが、其では説ききれぬ例がある。古い処では、
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はだすゝきほ[#「ほ」に傍線]に出《ヅ》る我《ワレ》や尾田《ヲダ》のあかたふしの淡の郡にいます神あり(神功紀)
[#ここで字下げ終わり]
新しいものでは、
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草深き野中の森のつまやしろ。此《コ》や、はだすゝきほ[#「ほ」に傍線]にいづる神(夫木和歌集、巻十六)
[#ここで字下げ終わり]
此例などは外面に現れるとばかりで説けきれぬものである。ほにいづ[#「ほにいづ」に傍線]と言ふ語に必忘れられた変遷のある事を暗示してゐるのである。
後代の人々の考へに能はぬ事は、神が忽然|幽界《かくりよ》から物を人間の前に表す事である。播磨風土記逸文ににほつひめの[#「にほつひめの」に傍線]命が、自分を祀つたら善《ヨ》き験《シルシ》を出さうと言うて、「ひゝらぎの八尋桙ね底つかぬ国。をとめの眉《マヨ》ひきの国。たまくしげ輝く国。こもまくら[#「こもまくら」に傍線]宝[#「宝」に「?」の注記]ある白《タク》衾[#「白《タク》衾」に「?」の注記]新羅の国を、丹波《ニナミ》以《モ》て平《ム》け給ひ伏《マツロ》へ給はむ。」とかうした文句で諭《ヲシ》へて、赤土を出されて……と言つた風の伝へがある。勿論此赤土を呪術に用ゐる為に出されたものと解して、桙・舟・戎衣等に塗り、其上海水を赤く攪き濁して行つたら、舟を遮ぎるものはなからうと託宣のあつた様に説いてゐる。けれども此「善き験を出さむ」と言ふのは、古意を以て説けば赤土を出された事である。其を当時誤解したものと見ることが出来る。更に後世風の解釈は伴うてゐるが、神武天皇熊野入りの条に見える高倉下《タカクラジ》の倉の屋根から落し込まれた高天[#(个)]原からの横刀《タチ》なども、此例である。たけみかづちの[#「たけみかづちの」に傍線]命の喩しの言が合理的になつてゐるが、神の「ほ」としての横刀を見て、天神の意思を知つたのである。此外にも大刀を「ほ」として表した神の伝へはある。
中臣寿詞によると、あめの―おしくもねの[#「あめの―おしくもねの」に傍線]命が、かむろぎ[#「かむろぎ」に傍線]・かむろみの[#「かむろみの」に傍線]命に天つ水を請ふと、天の玉串を与へられて、「之をさし立てゝ、夕日から朝日の照るまで、天つのりとの太のりと詞《ゴト》を申して居れ。さすれば、験《マチ》としては若《ワカ》ひるに五百篁《ユツタカムラ》が現れよう。其下を掘れば、天《アメ》の八井《ヤヰ》が湧き出よう……」と託宣せられたと説いている。若ひるは朝十時前後の事(沖縄では、おもろ双紙の昔から、今も言うてゐる)で、夜明けになればの意だと言ふ。併し或は字面どほり「弱蒜《ワカヒル》に」で柔い蒜と五百本からの竹藪が出現しようと言ふのかも知れない。竹藪だけにしても、神の示す「ほ」としての意味のものだと知れよう。天の玉串なども、「ほ」の考へから出たものでないかと思はれるのである。此には「ほ」と言はずに、「まち」と称してゐる。卜象《ウラカタ》の「まち」なる語に訳してゐるのである。「まち」は実はさして古い語ではない。「ほ」の用語例が忘れられてから、いつの間にかとり換へられたに違ひない。此伝へなども、天神たちが教へた語と言ふのは合理的になつてゐると見られよう。あめのおしくもねの[#「あめのおしくもねの」に傍線]命が神を祷ると、天の玉串が忽然と現れた。其串の自ら択ぶ地上にさし立てゝ、天つのりとの太のりと詞《ゴト》を申してゐたら、若ひるに五百篁が出現した。かう解すれば、「しゞま」の神の示す「ほ」の様子が知れよう。
「ほ」と卜象との関係は後で説くが、さうした物質を「ほ」とする外、ある動物又は人間を以てし、又其等のある時の状態を以て暗示する事がある。垂仁天皇の時、ほむちわけの[#「ほむちわけの」に傍線]皇子が出雲へ向ふのに、三つの道の何れをとらうかと言ふ事になつて、「ふとまに」卜ふと、本道になつてゐる二道では、跛《アシナヘ》・盲に出くはすだらう。だから紀州路は脇道ではあるが縁起のよい道だと出たので、其によつたとある。此も実は訣らぬ話で、跛盲に逢ふと、其道は呪はれてゐると言ふ心あたりを得たのであらう。さうした経験の積み重《かさな》りから、かうした逆の言ひ方が生じたものと思ふ。更に此より先、出雲大社に詣でるのが果して神の意かどうかを問ふのに、あけたつの[#「あけたつの」に傍線]みこは、甘橿《アマカシ》の丘《ヲカ》の鷺が落ちたら神の意思と信じると言ふ約束をたてゝ置いて鷺をおとし、又其を飛び立たせ、熊橿の葉を枯らしたり蘇らしたりして、神の意思を試してゐる。此はうけひ[#「うけひ」は罫囲み]と言ふ神意を問ふ様式で、どちらかをきめる場合の方法である。此が一転すると、一極《イチギ》めの方法になるし、又一方既に占ひの方に踏みこんでゐる様である。「うけふ」は承ふ(ウゲガフ)と言ふ語の古い形で、承《ウ》くを語根としたものだ。神がいづれを承けひいてくれるかと其肯否を問ふのである。二つ以上の条件を立てゝ、神の選択に随ふ神判を請ふ手段である。だから、此れが一転して神の保証によつて、自分の心を示す誓ひの手だてにも変化する。「うけひ」と言ふ語には、判断に迷うた時神の諭す方に随ふと言ふ考へと、神に二人以上の者の正邪を判決させる場合と、誓ひの手段として採る場合との三つがある。
其対象となるものは、神の示すところの「ほ」である。あけたつの[#「あけたつの」に傍線]王《ミコ》の場合にも、うけひまをして[#「うけひまをして」に傍線]鷺をうけひ落しうけひ活し、木の葉をうけひ枯しうけひ生かしたとある。神の「承《ウケ》ふ」象《ホ》を請ふ事になる。
「ほ」と言ふ語は早く忘れられて、専ら語部《カタリベ》の口から移つて行つた歌詞となつて了うた。其と共に別の語が其位置をとつて、而も意味が一方に偏する事になつて来た。たゝる[#「たゝる」は罫囲み]と言ふのが、其である。
たゝる[#「たゝる」は罫囲み]と言ふ語は、記紀既に祟《スヰ》の字を宛てゝゐるから奈良朝に既に神の咎め・神の禍など言ふ意義が含まれて来てゐたものと見える。其にも拘らず、古いものから平安の初めにかけて、後代とは大分違うた用語例を持つてゐる。最古い意義は神意が現れると言ふところにある。允恭紀に淡路の島で狩りせられて、終に獲物がなかつたので、占はれると、島の神祟りて曰はく、獣をとらせないのは自分の心だ。赤石の海底の真珠を自分に献つたら獣をとらせようと言うたとある。此文の、卜うたら神が祟つたと言ふのは、今の祟るでない。雄略紀の「十握劔に祟りて曰はく」と言ふのも、さうである。「たつ」と言ふ語は現れる・出ると言ふ意義が古いので、其から、出発・起居などの観念が纏つて来たのである。「月たつ」など言ふのも、月の朔日が来ると言ふよりは、月末に隠れた月が現れると言ふのが元である。「向ひの山に月たゝり[#「たゝり」に白丸傍点]見ゆ」などを見ても、知れるであらう。月神の出現を示すのである。其が段々内的になつて来て、神意の現れる事を示す語になる。更にそこに、意義が固定すると、「けしき―たつ」「おもかげ―たつ」など言ふ信仰抜きながら幽界を思はせる様な内容を持つた、捉へ難きものゝ出現の意になる。たゝり[#「たゝり」に傍線]はたつ[#「たつ」に傍線]のあり[#「あり」に傍線]と複合した形で、後世風にはたてり[#「たてり」に傍線]と言ふところである。「祟《タヽ》りて言ふ」は「立有而《タヽリテ》言ふ」と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で、実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。ところが此処に考へねばならぬのは、善い意味の神は「そしり」「ことゝひ」を自在にするが、わるい意味の神又は、含む所があつて心を示さない神が、専ら「ほ」を示す事に変つて来る。「ほ」の意味の下落でもあり、同時に「ほ」なる語の用ゐられなくなつた一つの原因とも思はれる。かうした場合に、唯ある現象のみ見せて、其由つて来る理由を示さないと言ふ形をとる。あるわるい現象を見て、神の「ほ」と感じ、其意味する所を問ふと言ふよりも寧其原因を求め聞いて、其に対する処置を採らうと言ふ事になる。かう言ふ風に展開して来ると、既にたゝり[#「たゝり」は罫囲み]の観念が確立した訣である。でも其古いものはやはり、人の過失や責任から「たゝり」があるのではなく、神がある事を要求する為に、人困らせの現象を示す風であつた。淡路島神は珠の欲しさであつた。龍田の神は社に祀られたい考へから作物をまづ荒してゐる。即人の注意を惹く為の「ほ」に過ぎない。かうしてくれるかどうかとの強談判に過ぎないので、人のせゐ[#「せゐ」に傍点]ではなかつた。かうして「たゝり」が「祟」の字義にはまつて来る。此が奈良朝或は其以前の此語の内容である。ところが、神の内容が段々醇化して来ると、さうした「たゝり」を人間の過・罪から出るものと考へて来る。平安朝に入つては其色彩が強くなつて、天長四年の詔などに見えて来る。「御体|愈《ヤス》からず大坐《オホマ》しますによりて占へ求むるに、稲荷の社の樹を伐れる罪、祟りに出づと申す……」。「たゝり[#「たゝり」に傍線]にいづ」と言ふ語と「ほ[#「ほ」に傍線]にいづ」と言ふ語とには、輪郭には大した変りはない。唯内容には複雑味が加つて来てゐる。「たゝり[#「たゝり」に傍線]にいづ」はたゝり[#「たゝり」に傍線]として表すと言ふ事である。其を直にたゝる[#「たゝる」に傍線]とも古くから言うてゐる。但し、「……にたゝる」と言つた発想をとる。「何々となつてほ[#「ほ」に傍線]を示す」と言ふ事になるのである。語法は後まで固定して残つてゐても、言語情調や意義は、早くから変化してゐるのだから、「島の神たゝりて曰はく……」など言ふ様な表現を用ゐる事になつたのである。古い俤にかへすと、「獣一つすら獲ぬほ[#「ほ」に傍線]を示し給へるは、何れの神にいまして、いかなる御心かおは
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