「末の松山を浪の越えざる如く」と比喩に解してゐる説もある。だが、此は恋の誓ひの古い形で、波の被《カブ》さりさうもない末の松山を誓ひに立てゝ来た処に意味があるのである。而も越えなむ[#「越えなむ」は罫囲み]と言ふ語も、「誓ひに反いたら波が越えるだらう」と将来に対する想像的な約束ではない。此場合のなむ[#「なむ」は罫囲み]は、動詞第一変化につく助辞で、希望の意を示すものだ。だらう[#「だらう」に傍線]を表す第二変化につく助動詞ではない。「越えてくれ」「越えてほしい」と言つた意で、従つて上の「我が持たば」も将来持たばでなく、「持てらば」の時間省略で、「持つてるものなら」と言ふ事になる。「この誓言本心を偽つて居るものなら、この陶《スヱ》の地の松山其を、波が越えてみせてくれ」と言ふ意である。かうした処から、比喩を立てゝ「あの物のあゝしてある限りは、言は違へまい」と言ふ新羅王風のになるか、「あの物がわたしの心のしるしだ」と言つた風の言ひ方になる。「鎌倉のみこしがさきの岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ」(万葉巻十四、三三六五)は、単なる修飾ばかりでなく、物を誓ひに立てゝ、心の比喩にする風の変形である。
前へ
次へ
全32ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング