る。まして天罰をかけて起請する様なのは、遥かに遅れての代の事であつた。後世の考へ方から見れば、むつかしい「ほ」をかけておけば、却つて偽りに都合のよい様に見える。現代尚屡、行はれる歯痛のまじなひ[#「まじなひ」に傍線]で、「此豆に芽の出るまでは、歯の虫封じを約束しました」と言つた風の言ひ方で、煎り豆を土に埋める様な風習も、単に神を所謂|詭計《オコワ》にかける訣でなかつた。「煎り豆に花の咲くまでは、下界に来るな」と鬼を梵天国に放つた百合若伝説が、稍古い形を見せてゐる。つまり誓ひの方式が、変化したのである。うけひ[#「うけひ」に傍線]の神意を試すところに立脚してゐる処から出て、其に加つて来た神に対する信頼の考へが、どんな事でも神力で現れない事はないとするからである。
神功皇后三韓攻めの時、新羅王のなした誓ひの詞は、日本人としての考へから言うてゐるのだから、此証拠に見てもよい。「則、重ねて誓ひて曰はく、東に出づる日更に西に出で、且、阿利那礼河《アリナレガハ》の返りて逆に流るゝ除《ホカ》は、及び河の石昇りて星辰と為るに非ずば、殊に春秋の朝を闕き怠りて梳鞭の貢を廃《ヤ》めば、天神地祇共に討《ツミ》
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