はだすゝきほ[#「ほ」に傍線]にいづる神(夫木和歌集、巻十六)
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此例などは外面に現れるとばかりで説けきれぬものである。ほにいづ[#「ほにいづ」に傍線]と言ふ語に必忘れられた変遷のある事を暗示してゐるのである。
後代の人々の考へに能はぬ事は、神が忽然|幽界《かくりよ》から物を人間の前に表す事である。播磨風土記逸文ににほつひめの[#「にほつひめの」に傍線]命が、自分を祀つたら善《ヨ》き験《シルシ》を出さうと言うて、「ひゝらぎの八尋桙ね底つかぬ国。をとめの眉《マヨ》ひきの国。たまくしげ輝く国。こもまくら[#「こもまくら」に傍線]宝[#「宝」に「?」の注記]ある白《タク》衾[#「白《タク》衾」に「?」の注記]新羅の国を、丹波《ニナミ》以《モ》て平《ム》け給ひ伏《マツロ》へ給はむ。」とかうした文句で諭《ヲシ》へて、赤土を出されて……と言つた風の伝へがある。勿論此赤土を呪術に用ゐる為に出されたものと解して、桙・舟・戎衣等に塗り、其上海水を赤く攪き濁して行つたら、舟を遮ぎるものはなからうと託宣のあつた様に説いてゐる。けれども此「善き験を出さむ」と言ふのは、古意を以て説けば赤土を出された事である。其を当時誤解したものと見ることが出来る。更に後世風の解釈は伴うてゐるが、神武天皇熊野入りの条に見える高倉下《タカクラジ》の倉の屋根から落し込まれた高天[#(个)]原からの横刀《タチ》なども、此例である。たけみかづちの[#「たけみかづちの」に傍線]命の喩しの言が合理的になつてゐるが、神の「ほ」としての横刀を見て、天神の意思を知つたのである。此外にも大刀を「ほ」として表した神の伝へはある。
中臣寿詞によると、あめの―おしくもねの[#「あめの―おしくもねの」に傍線]命が、かむろぎ[#「かむろぎ」に傍線]・かむろみの[#「かむろみの」に傍線]命に天つ水を請ふと、天の玉串を与へられて、「之をさし立てゝ、夕日から朝日の照るまで、天つのりとの太のりと詞《ゴト》を申して居れ。さすれば、験《マチ》としては若《ワカ》ひるに五百篁《ユツタカムラ》が現れよう。其下を掘れば、天《アメ》の八井《ヤヰ》が湧き出よう……」と託宣せられたと説いている。若ひるは朝十時前後の事(沖縄では、おもろ双紙の昔から、今も言うてゐる)で、夜明けになればの意だと言ふ。併し或は字面どほり「弱蒜《ワカヒル》に」で柔い
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