「とこよ」と「まれびと」と
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)常世《トコヨ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其|儀来河内《ギライカナイ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)まれびと[#「まれびと」は罫囲み]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)高天[#(个)]原

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ほと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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稀に来る人と言ふ意義から、珍客をまれびと[#「まれびと」は罫囲み]と言ひ、其屈折がまらひと[#「まらひと」は罫囲み]・まらうど[#「まらうど」は罫囲み]となると言ふ風に考へて居るのが、従来の語原説である。近世風に見れば、適切なものと言はれる。併し古代人の持つて居た用語例は、此語原の含蓄を拡げなくては、釈かれない。
とこよ[#「とこよ」は罫囲み]の国から来ると言ふ鳥を、なぜ雁のまれびと[#「雁のまれびと」に傍線]と称へたか。人に比喩したものと簡単に説明してすむ事ではない。常世《トコヨ》の国から来るものをまれびと[#「まれびと」に傍線]と呼んだ民間伝承の雁の上にも及んだものと考へられるのである。
古代の社会生活には、我々の時代生活から類推の出来ない事が多い。我々は「わいへんは」の曲や、「珠敷かましを」の宴歌を見ても、明治大正の生活の規範に入れて考へる。社会階級の高い者から低い者を訪問する事を、不思議と感じる事の薄らいで来た、近代とは替つた昔の事である。武家時代に入つて、貴人の訪問が、配下・家人に対する信頼と殊遇とを表現する手段となり、其が日常生活の倦怠を紛す享楽の意味に変化したよりも、更に古い時代の事実である。臣下の家に天子の行幸ある様な事は、朝覲行幸の意味を拡充したものであつて、其すら屡《しばしば》せられるべき事ではなかつたのである。非公式でも、皇族の訪問は虔まねばならぬ事であつた。古代ほど王民相近い様に見えて、而もかうした点では制約があつたのである。
我が国の民間伝承を基礎として、Cupid and psyche type(我が三輪山神婚説話型に当る)の神話を解すれば、神に近い人としての求婚法が、一つの要素になつて居るといふ事も出来る。
まれ[#「まれ」に傍点]と言ふ語の用語例が、まだ今日の様な緩くなかつた江戸期の学者すら、まれびと[#「まれびと」に傍線]を唯珍客と見て、一種の誇張修飾と感じて居たのが、現代の人々の言語情調を鈍らしたのである。
まれ[#「まれ」に傍線]は珍重尊貴の義のうづ[#「うづ」は罫囲み]よりも、更に数量時の少い事を示す語である。「唯一」「孤独」などの用語例にはいる様である。「年にまれなる人も待ちけり」など言ふ表現で見ると、まれびと[#「まれびと」に傍線]の用法は弛んでゐる様に見えるが、尚「年にまれなり」と言ふ概念には、近代人には起り易くないまれ[#「まれ」に傍線]を尊重する心持ちが見える。
軽薄者流を以てある点自任した作者自身、やつぱり「年にまれなる訪問」と言ふ民間伝承式の考へ方を、頓才問答の間に現してゐるのは、民族記憶の力でなければならぬ。おなじ恋愛味は持つて居ても、「わいへん」の方は空想である。民謡に歓ばれる誇張と架空と無雑作と包まれた性欲とが、ある自信ある期待を謳ひ上げて居る。此は物語で養はれた考へから、稀にはあり得る事と思うてゐた為であらう。まれびと[#「まれびと」に傍線]の用語例にぴつたりはまるのは、かうして獲た壻ざねでなければならぬ。私は此も本義に於ける「まれ人」を待つ心の一変形だと考へてゐる。
年にまれなおとづれ人を待ち得ぬ我々は、「庭にも やどにも、珠敷かましを」を単なる追従口と看過し易い。此は誇張でもない。支那風模倣でもない。昔の「まれびと」に対しての考へ方を、子孫の代の珍客に移したのに過ぎぬのである。
まれびと[#「まれびと」は罫囲み]とは何か。神である。時を定めて来り臨む大神である。(大空から)或は海のあなたから、ある村に限つて富みと齢《ヨハヒ》とその他若干の幸福とを齎して来るものと、その村々の人々が信じてゐた神の事なのである。此神は、空想に止らなかつた。古代の人々は、屋の戸を神の押《オソ》ぶるおとづれと聞いた。おとづる[#「おとづる」は罫囲み]なる動詞が訪問の意を持つ事になつたのは、本義音を立てるが、戸の音にのみ聯想が偏倚したからの事で、神の「ほと/\」と叩いて来臨を示した処から出たものと思ふ。戸を叩く事について深い信仰と、聯想とを持つて来た民間生活からおしてさう信じる。宮廷に於いてさへ、神来臨して門を叩く事実は、毎年くり返されて居た。
其神の常在る国を、大空に観じては高天《タカマ》[#(个)]原《ハラ》[#「高天[#(个)]原」は罫囲み]と言ひ、海のあなたと考へる村人は、常世《トコヨ》の国[#「常世の国」は罫囲み]と名づけて居た。
高天[#(个)]原は、曾て宮廷の祖神にゝぎの―みこと[#「にゝぎの―みこと」は罫囲み]が、其処を離れて此土に移つたものとして、唯一度ぎり、神降臨の行はれた天上の聖地と考へられてゐる。ところが其は、信仰上の事実と、其の固定した部分との間に生じた、矛盾のある歴史化した合理的解釈であつたのである。
五伴緒《イツトモノヲ》と称した宮廷祭祀の、専属職業団体の高天[#(个)]原以来の本縁を語ると共に、宮廷の祖神も此時に降られ、天地の交通は大体疎隔せられた様に説いてゐる。併しながら、固定せないでゐる部分は、後代までも天子一代毎に代つて降臨せられるものと信じてゐた。是れが日のみ子[#「日のみ子」は罫囲み]なる語のある訣である。而も合理化した歴史と歩調をあはせる処から、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]とすめみまの―みこと[#「すめみまの―みこと」は罫囲み]が、一つ文章に出て来ても顧みないで居る。一つは、奈良時代に入つてから、歴史上の事情は信ずべきものであるとすると共に、信念として、歴代天子降臨・昇天の事実があると二つに分けて考へるだけの、理知の世の中になつてゐたのだとも言はれよう。
記・紀・万葉のみに拠るならば、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]の現《ア》れ継《ツ》ぎは、歴史から生れた尊崇の絶対表現だと言はれよう。祝詞を透《スカ》して見た古代信仰では、前者が後の合理観で、後者が正しいものと言はねばならぬ事になる。(詳しくは「あきつ神」の論の部に譲りたい。)
かうして、にゝぎの―みこと[#「にゝぎの―みこと」に傍線]の天降《アモ》りを唯一度あつた史実とした為に、高天[#(个)]原は、代々の実際生活とは交渉のない史上の聖地となつて行つた。村々の中、大空を神の居る処としたものは多かつたに違いないが、此地を示す標準語固定の後は、我々に残された書類では、「常世の国」が、邑落生活の運命を左右する神の住み処《か》と見られて行く傾きになつたものであらう。
藤原京に於いて既に、一部の人が「常世」に仙山の内容を持たしかけてゐる。此は帰化民の将来して、具体化しはじめた道教の影響である。而も純《ウブ》な形は、年月を経ても残つてゐた。大伴《オホトモ》[#(ノ)]坂上《サカノヘ》[#(ノ)]郎女《イラツメ》の別れを惜しむ娘を諭して「常夜にもわが行かなくに」と言うてゐるのは、後世の用語例をも持ちながら、原義を忘れて居ない様である。宣長は三つの解釈の中、冥土・黄泉など言ふ意に見て、常闇の国と言ふ意味に入れて説いてゐる。此などは、海のあなたの国といふ意にも説けるから、字面の常夜にのみ信頼しては居られない。だが、「常世行く」と言ふ――恐らく意義は無反省に、語部の口にくり返されて居たと思はれる――成語は、確かに常闇《トコヤミ》の夜の状態が続くと言ふ事に疑ひがない。此「常夜」は、ある国土の名と考へられて居なかつたやうであるが、此語の語原だけは訣るのである。さうすると、常世の国は古くは理想の国土とばかりも言はれなかつた事になり相である。
とこ[#「とこ」は罫囲み]は絶対の意の語根で、空間にも時間にも、「どこ/″\までも」の義を持つてゐる。常夜は常なる闇より、絶対の闇なのである。
我が祖先の主な部分と、極めて深い関係を持ち、さうしてその古代の習俗を今に止《とど》めてゐる歌の多い沖縄県の島々では、天国をおぼつかぐら[#「おぼつかぐら」は太字、罫囲み]と言ふ。海のあなたの楽土をにらいかない(又、ぎらいかない[#「ぎらいかない」に傍線]・じらいかない[#「じらいかない」に傍線]など)又まやのくに[#「まやのくに」は太字、罫囲み]と呼ぶ。こゝでも、おぼつかぐら[#「おぼつかぐら」に傍線]は民間生活には交渉がなくなつて居るが、にらいかない[#「にらいかない」に傍線]はまだ多く使うてゐる。而も其|儀来河内《ギライカナイ》は、また禍の国でもある様子は見える。蚤は、時を定めてにらいかない[#「にらいかない」に傍線]から麦稈の船に麦稈の棹さして此地に来るといふ。おなじ語の方言なるにいる[#「にいる」に傍線](又、にいる底《スク》)を使うてゐる先島の八重山の石垣及びその離島々では、語原を「那落」に聯想して説明してゐる程、恐るべき処と考へてゐる。洞窟の中から通ふ底の世界と信じてゐる。其洞から、「にいるびと」と言ふ鬼の様な二体の巨人が出て来て、成年式を行ふ事になつてゐる。神として恐れ敬うて、命ぜられる儘に苦行をする。而も、村人の群集してゐる前に現れて、自身舞踊をもし、新しい若衆たちにもさせる。又、他の村では、「まやの神」が、農業の始めに村に渡つて来て、家々を訪れて、今年の農業の事その他、家人の心をひき立てる様な詞をのべて廻る。かうした神々の外に、家の神としてゐる祖先の霊が、盂蘭盆に出て来る村もある。あんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]と呼ぶ。男の祖先と女の祖先(此を祖父《オシユマイ》・祖母《アツパア》といふ)とが眷属を連れて招かれた家々に行つて、楽器を奏し芸尽しなどをするが、大人前《オシユマイ》が時々立つて、色々な教訓を家人に与へ、又従来の過・手落ちを咎めたりする。此三通りの常世のまれびとが、一つの石垣島の中に備つてゐる。
神の属性の純化せない時代の儘の姿である。あんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]は語原不明だが、類例から見れば、やはり信仰上の地名であらう。此人々の出て来る処は、理想の国ではない。唯祝福と懲戒の責任と権利とを持つた一種の神が、人間の国土の外から来る訣なのである。にいる人《ビト》[#「にいる人《ビト》」に傍線]の場合も同様で、村の中堅たる若衆を組織し、一つの信仰を土台として、新しい人の手で古い村の生活を古い儘に伝へて行かせようとするのである。此も神とも鬼ともつかぬ人間の都合よい事ばかりを計る者ではない。其国は、蚤の来る国如き手ぬるい禍を持つた好しい聖地ではない様である。
蚤の乗る船の事は、正月の宝船の古い形式・奥州の佞武多《ネブタ》などゝ一つ思想から来たものなのだ。寝牀の悪虫や、農家の坐職に妨げする(――併し、古くは、夜ざとく睡つて、災害を免れる為の呪ひであつたらうと思ふ――)睡魔を船に流して、海のあなたに放逐するつもりであつた。だから、沖縄とは正反対になつて居るが、海阪《ウナザカ》の彼方《オチカタ》には、神でもあり、悪魔でもある所のもの[#「もの」に傍線]の国があると考へたのが、最初なのだ。我が国で見ても、幽界《カクリヨ》と言ふ語の内容は、単に神の住みかと言ふだけではない。悪魔の世界といふ意義も含んでゐる。幽界に存在する者の性質は、一致する点が多い。其著しい点は、神魔共に夜の世界に属する事で、鶏鳴と共に、顕界《ウツシヨ》に交替する事である。民譚に屡出る魔類と鶏鳴との関係は固より、尊貴な神々の祭りすら、中心行事は夜半鶏鳴以前ときまつてゐる。此で見ても、わが国の神々の属性にも、存外古い種を残してゐたので、太陽神の祭りにすら、暁には神上げをしなければならなかつた位であつた。
古代程神に恐るべき分子を多く観じたが、海のあなたから来る神
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