今も地方では、年棚《トシダナ》の下に置く処もある。つまりは、神を招《ヲ》ぎおろし其居給ふべき処を示す「作り山」なのだ。武家の正格な宴会には、之を正客の前に据ゑ、其他の盤・膳の類にも、植物の枝を挿す。すべて「まれびと」に対する古風が、形式化したものである。
近世、階級高い者の低い人の家に行く事が珍しくなくなつて、まらうど[#「まらうど」に傍線]なる古語の変形も、実際感から遠のいて解せられて来た。私はまれひと[#「まれひと」に傍線]の場合ひと[#「ひと」に傍線]を単純な人[#「人」に白丸傍点]とは会《ト》らなかつた。此ひと[#「ひと」に傍線]を人[#「人」に丸傍点]として見る事も出来よう。常世神の人なる事を知つた為、人を言うたものと説く事である。併しどうとつても根本の思想だけは、易らないと思ふ。
第二の場合は、時候の替り目或は人の病ひの篤くなつた時に行ふものである。家に関した呪言が家長の生命の祝福と結びついてゐるのは、「よごと」の文献に長い有史以前のある事を見せてゐるのである。生命の呪言は、宮廷では正月朝賀のをり、大殿祭のをり、特殊な場合では、即位の始めの新嘗即大嘗祭の時である。其他何事かに関聯して主上万歳の祝福の考へに結びつく事になつて居る。諸氏の氏[#(ノ)]上たる豪族にして神主なる人、下は国造から上は宮廷の権臣として政治に専らな者も、天子の為に生命の呪言を唱へるきまりであつた。夙く簡略になつて、大臣群臣を代表して陳べる事になつたが、かうした呪言の性質上氏々の神主としての資格を以て、其等の人々が皆「よごと」を奏したのである。遂に「賀正事」と言ふ字が「よごと」に宛てられ、正月と言ひ、朝賀と言ふと、「よごと」を聯想する事になり、後代の人には持ちにくい程の内容を含む事になつたのである。
更に推定の歩を進めると、諸豪族の家長の交替する時、其土地を持ち、氏人を持ち、家業を継ぐ事の勅許を受ける為に拝謁して、其家に伝へた寿詞を唱へる形式をとつたのではあるまいか。出雲国造ばかりが神賀詞《カムヨゴト》を唱へに上京したのではあるまい。家々の宮廷に事へた由緒を陳べ其と共に、今の天子の長命を呪して忠勤を示す事、祭政分離の政策が、この風を変改するに到るまで、継続して居たものであらう。出雲国造ばかりは、神主たる資格を失はなかつた為、他の神主を別に立てて祭事とは離れた家々とは違つて、特殊な家風の様な観を持つ事になつたらしい。
家々の氏[#(ノ)]上が寿詞を唱へる事は、其家々が邑落生活に権力を得た源を示している。神主であり、神となり得た村君の、も一つ以前の「常世神」としての生活の俤が見えるではないか。此場合、第一次の神語を唱へるのではない。天子の寿を為すために作られ、家々に伝誦せられた詞を唱へるのである。呪言に対する信仰として、神の詞と言ふ考へはまじつてゐても、大体は人作の文句と言ふ事は知つてゐたらうと思ふ。さうして唱へる人も固より神としてゞはなく、人として我が主君に奏上する意識は持つて居たに違ひない。目的はおなじでも、態度は非常に変つて来てゐる訣である。神として唱へた呪言を、人として言ふ事になるのであるから、勢ひ、文調に神秘力のある事を信じる事になる。
神の詞としての生命の呪言は、他の第一次の呪言と共に亡びてしまうてゐる。だが、普通の場合は、定期に行はれる生業の呪や、建築物の呪と同時に行ふ事が多い為と、呪言の本質として比喩表現をとる為に、錯乱した形をとつて来る。多くは家長の長命を示すと並行して建築の堅固をも祝福してゐる。又、農産・食物が比喩となつてゐるのは、生業のはじめに併せて呪せられたからである。
常世の神のなした呪言は、秘密を守り遂げて世に出ずに亡びたものが多かつた。
底本:「折口信夫全集 4」中央公論社
1995(平成7)年5月10日初版発行
※底本の題名の下には、「草稿」の表記があります。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年10月31日作成
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