を長命の国と考へたのは、道教の影響かと思ふのであるが、常世の国を表す用語例の外に、長命の老人をさして、直に「とこよ」と言ふ例もある。だが、昔見たより若返つて見える人を「常世の国に住みけらし」と讃美した様な言ひ方もある。記紀の古い処にあるから其程も古いものとは言はれまい。大体長寿者のとこよ[#「とこよ」に傍線]は、常世の国の意義が絶対の齢|即《すなはち》不死の寿命と言ふ意に固定してから岐れたものと見るが正しからう。
今一歩進めれば、常世が恋愛の浄土と考へられるのは、支那民譚の影響もあらうが、内容には、巫女が人間と婚する事実の民譚化した女神の、凡俗で唯倖運であつた男を誘うた在来の話が這入つて居る。外側からは、よ[#「よ」は罫囲み]なる語の性欲的な意義を持つたものゝ出て来た為に、内容側の結合が遂げられて、「永遠の情欲」の国を考へ出したのではあるまいか。此意義の「よ」の側だけは、稍論理を辿り過ぎたかの不安を自ら持つてゐる。とこよ[#「とこよ」は罫囲み]なる語だけの歴史と思はれるものは、右のとほりである。
海のあなたの「死の島」の観念が、段々抽象的になつて幽界《カクリヨ》と言つた神と精霊の国と考へられる。其が一段の変化を経ると、最初の印象は全然失はないまでも、古代人としての理想を極度に負うた国土と考へる様になつたのである。かうした考へ方の基礎は、水葬の印象から来る。わが国に於いても、尠くとも出雲人の上には、其痕跡が見えてゐる。水葬した人々のゐる国土を海のあなたに考へ、その国に対する恐れが、常夜・根《ネ》の国を形づくる様になつた。其と共に現《ウツ》し身にとつては恐しいが、常にある親しみを持たれてゐると期待の出来る此|幽《カク》り身《ミ》の人々が、恩寵の来訪をすると思ふ様になつたのである。だから此稀人に対する感情は単純な憧憬や懐しみではない。必其土台には深い畏怖がある。かうなると、常世の国が二つの性質を持つて、時には一つ、又ある時には二つにも分けられて来る。「常世」と「根」との対立がこれだ。信仰系統の整理がついてからは、村々の生活に根柢的の関係を持つ常世神は、段々疎外せられ、性質も忘却と共に変つて来た。大体平安朝末から文献に見えるあらえびす[#「あらえびす」は罫囲み]なる語は、此常世神の其時代に於いて達した、極度の変化を示すと共に、近代に向うて展開すべき信仰の萌しをも見せてゐる。
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