#(ノ)]麻多智《マタチ》の話である。山口に標木を立てゝ、此以上を神の地、此以下を人の田と定め、今から後自ら神祝として、夜刀神を祀るから祟りすな、と言うて、子孫代々此社に仕へたと言ふ。此などは、神の資格に於いてすべき事を、人がしたのである。だが、大体に「ことゞ」を交《カハ》す事は、常世神以外には出来ぬものと考へたものらしい。此も奈良朝以前にも既に特《コト》に神に請《コ》ふ位の内容しか感じられないまでに固定したと見えてゐるが、「ことあげ」と言ふ語が、「ことゞあげ」で、人間の神にする「ことゞ」を言うたと想像出来る。「ことあげ」は極めて虔しむべき事だつたので、「言挙《コトア》げ」を否定する文献の多い理由も知れる。此外には事実「ことあげ」を繰り返しながら、語の上でばかり之を避けてゐた理由が知れぬのである。
やまとたける[#「やまとたける」に傍線]の命が、胆吹山の神が猪になつて現れた事を誤認して言挙げし、其言挙げに因つて惑はされたとあるのは、神の種姓を知らずして「ことゞ」をなしたから効果がなかつたのである。此はよく「ことゝひ」の性質を示した事実である。
又万葉には、此語を歌垣の場の言ひかけ或は求
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