導いた訣なのだ。律語形式が神語の為に択ばれたのではなく、神語なるが為に、律文式発想を採らなくてはならなかつたのである。
律語形式の発生を語る前に、「神語」のいまだ発せられない時期に於ける、神の意思の表出法に就いて考へなければならぬ。なぜならば、神語が行はれる時代が来ても、其以前の表出法が交錯して現れるからである。
わが祖先の用ゐた語にしゞま[#「しゞま」は罫囲み]と言ふのがある。後期王朝に到つては、「無言の行《ギヤウ》」或は寧「沈黙遊戯」と言つた内容を持つて来てゐる。此語が、ある時期に於て、神の如何にしても人に託言せぬあり様を表したのではあるまいかと思はれる。神語が行はれる様になつてからの語であらうが、其以前真に神の語らぬ時期にも、用語例を拡充する事が便利である。
神が、原始的のしゞま[#「しゞま」は罫囲み]に於いて、どう言ふ発想法を採つたか。ある時代の後に、ほ[#「ほ」は罫囲み]なる語で表したと思はれる所の、象徴を以て、我々の祖先は神意の表現せられたものと信じてゐた。(「ほ・うら」の論参照)
現象を以て神意の象徴せられたものと考へ、気分的に会得すべき象徴を、合理的に解決しようと努める
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