る。われ/\の祖先が、其場ぎりに忘れ去る対話としての言語の外に、反復を要する文章の在る事を知るのは、此神語にはじまるのである。神語以外に、永続の価値ある口頭の文章が、存在しなかつたからである。
神語は、古代人の生活の規範でもあり、知識でもあつた。特殊の人々をして、これが伝承に努めしめて、罔極の祖先から永劫の児孫に及さうとしたのである。而も神語は、代を逐うて増加し、展開し、変転した。其間に通じて変らなかつたのは、其形式が律文以外に出なかつた事である。
散文の、権威ある表現能力を持つて来る時代は、遥かに遅れてゐる。真に国語を以て、国語的発想を自由にした散文は、奈良朝にすら現れなかつたのである。口の上の語として使い馴されて居ても、対話以外に、散文が成立文章として存在する理由がなかつた。記憶の方便と言ふ、大事な要件に不足のあつた為である。神語に散文のものがあると考へるのは空想である。神語の、成立文章として口頭に反復せられる為には、律文でなければならない。が、律文である事を要求したのではなく、本質として律文であつたのである。即たま/\律文であつた事が、神語に成文的の効果を与へ、文学としての展開を
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