「さうや さかいに」
折口信夫

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)綴《トヂ》める

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)言語|衒《テラ》ひ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)そやさかい[#「そやさかい」に傍線]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

柳田国男先生が「さうやさかいに」を論ぜられて後、相当の年月が立つた。その論が、画期的なものであつたゞけに、此に対して、何の議論も現れなかつたことは、世間が先生のこの方言論を深く、認容したと言ふことになる訣である。
今頃更めて、ある時期における京阪語の代表的なものとせられてゐた「さうやさかいに」論を書きついで行く必要はない気がする。併し此で定論を得てをさまつた、この語の論策を綴《トヂ》める為に、かう言ふ追ひ書を書き添へておいた方が、よいと思ふ。其で先生にしてみれば、時間さへあれば、当然書き直してゐられるはずの部分を、先生よりは暇人である私が、少しばかりの書きつぎをさせて頂くつもりになつたのである。謂はゞ、最みすぼらしい続貂論《ぞくてうろん》である。
この語の最濃厚な利用圏内に成人した私の、先生のあの研究に、とりわけ深い恩恵を受けたことの感謝の心を、外の方々――たとへば金田一先生のやうなお人たちにも見て頂きたい。此心持ちは、先生には固より、にこやかにうべなう[#「うべなう」に傍点]て貰へるものと考へるのである。
 さかいに[#「さかいに」は太字] さかいで[#「さかいで」は太字]
そやさかい[#「そやさかい」に傍線]――さうやさかい――系統の語の第一のめど[#「めど」に傍点]になるそや[#「そや」に傍線]と言ふ語は、勿論さうぢや[#「さうぢや」に傍線]の発音のやつれた[#「やつれた」に傍点]もので、曾てその最完備した形さうである[#「さうである」に傍点]から来たものなることは、言ふまでもない。だから、其は論の外において、さかいに[#「さかいに」に傍線]・さかいで[#「さかいで」に傍線]又は、さかい[#「さかい」に傍線]の形を論じれば其で足る訣である。
さかい[#「さかい」に傍線]の三つの形のうち、最有力に使はれてゐるものは、さかい[#「さかい」に傍線]である。外の二つは、さかいに[#「さかいに」に傍線]すら、以前のやうには、使用せられてはゐない。
その中、さかいで[#「さかいで」に傍線]が一番早く流行圏外に出てしまうたが、近代の浄瑠璃・小説文学には、標準語と見てよいほどに、よく使はれてゐた。残る二つの中、さかいに[#「さかいに」に傍線]は、今遣ふ人にも古典的な感覚を持たれる様になつて、さかい[#「さかい」に傍線]のやうに緊密感を受けぬやうになつた。今後特殊な事情が加つて来ぬ限りは、さかい[#「さかい」に傍線]を限界として、その系統は消えてしまふか、でなければ、音韻の大飛躍が起つて来さうな気がする。――さう言ふ見きはめがつけられてゐる。其理由の一つは、既によほど以前から、よつて[#「よつて」に傍線]・によつて[#「によつて」に傍線]・よつてに[#「よつてに」に傍線]などが、なか/\勢を示してゐたからである。
 さかいの[#「さかいの」は太字] さ[#「さ」は太字]
さかい[#「さかい」に傍線]のさ[#「さ」に傍線]については、素朴な語原説からすれば、「……ぢや[#「ぢや」に傍線] から[#「から」に傍線]」と言つた形を截り出して考へることが出来るのである。語尾らしく見えるかい[#「かい」に傍線]は、勿論から[#「から」に傍線]である。此だけは、何としても疑ひがない。
意義は違ふが、語形のそのまゝな、より[#「より」に傍線]・から[#「から」に傍線]の系統のから[#「から」に傍線]も、かい[#「かい」に傍線]と言ふ形で使はれることが多い。この方では、かい[#「かい」に傍線]とさ[#「さ」に傍線]・さに[#「さに」に傍線](様《サマ》から出たさ[#「さ」に傍線]に語尾に[#「に」に傍線]のついたもの)が、よく似た用途にあることは参考になる。「浮世風呂」でなくても、上方語と江戸語とを対照させて考へた人の頭に、すぐ浮んだえどつこ[#「えどつこ」に傍点]のから[#「から」に傍線]と上方のさかい[#「さかい」に傍線]とは、語の根幹から言へば、非常に近かつたのもおもしろい。
柳田先生はこゝに来て頗注意すべき意見を出して居られた。さかい[#「さかい」に傍線]のかい[#「かい」に傍線]の上にあるさ[#「さ」に傍線]はである[#「である」に傍線]の系統、ぢや[#「ぢや」に傍線]の類のものといふ風に一往は誰も考へるが、ひよつとすると、語気の上から、さう言ふ「さ」と謂つた語が挿入せられたものかとも思はれる。――さう言ふ風の、新鮮な感受力から来たものを示してゐられる。私の早合点でなければ、日本語族に古代から屡現れて力を逞しくしてゐる、感動語の類に列ねてよいものが、かう言ふ風に屡、語中・語間に姿を表すことがあるのでないか、と考へてゐられたのではないか――、と想像を許して貰つてゐる。
此考へ方は、極めて新しい美しい組織を予想させるもので、当時、我々は事実、日本語解釈の上で、大きな救ひが啓示せられたやうに考へたものである。つまり古代言語を列ねた律文類の中に、意義と関係なく――寧囃し詞のやうに出て来る事実である。
文法的には意義がなくて、気分的には、其必要があつたらしい。たとへば私見に類する例をとつて言ふことを許して頂けば、「さゝ波や滋賀……」「はしきよし我が思ふ子ら……」などの用語例、「さゝ波よ。その滋賀」「はしきかな。その妹」と言ふ風に、古代と中世とでは、言語関係が違つて解せられてゐるらしい――さう言ふ類に属すると見て居られる様に、私どもは解釈した。
つまり、「ある……それに[#「それに」に傍線]よつて」「する……それに[#「それに」に傍線]基いて」さう言ふ語感を含んでゐるものと言ふ解釈法を、先生から学び得たのである。ところが時が立つて、私の別に以前から抱いてゐた敬語観と謂ふやうなものが、私のうちにおいて、自ら育つて来てゐて、其がさかい[#「さかい」に傍線]・さかいに[#「さかいに」に傍線]の理会の上に、先生の解釈例を基礎にして、そこに別様の誘ひかけが起つて来てゐるのに気がついた。
つまり、強調の為の挿入助辞の様な機能を持つもの――感動語感が、語幹中の敬語を変質させるやうになつたと言ふ――柳田先生の考へ方から、孵化したやうな、今一つの理会のしかたが出て来た訣であつた。
なぜさうした形をとるに到つたかといふと、唯先生の其考へ方は、先生自身言はれたやうに、いつまでも考へ方として、仮説のまゝに留めておかねばならぬものになるだらう、と言はれたことが、時を経て、私の不安を唆つて来た為でもある。
 方言の洗煉意欲[#「方言の洗煉意欲」は太字]
結論はよほど違ふが、此方は柳田先生の外にも、問題にした人のある方言である。会津のもさ[#「もさ」に傍線]、紀州ののし[#「のし」に傍線]などと言つて、其方言を使ふ地方人はよく、からかはれた[#「からかはれた」に傍点]ものである。もさ[#「もさ」に傍線]はまをす[#「まをす」に傍線]から出た間投詞又は語尾で、単純な田舎の古朴な語とは言へない。ある種の洗煉意識と、一種の言語遊戯観を多く持つた「奴詞《ヤツココトバ》」である。もおす[#「もおす」に傍点](申)の一拗体で、決定感を帯びてゐる為に、も[#「も」に傍点]さ[#「さ」に白丸傍点]と言つて、語尾におかれる事が多い。これが一段素朴で、語尾の決定感を表示することが、柔軟で、丁寧に気分を語らうとする語尾のもおす[#「もおす」に傍点]が、もつと広い地域に渉つて更に音韻の変化した形で示される場合が、なもし[#「なもし」に傍線]・のし[#「のし」に傍線]である。此系統はます[#「ます」に傍線]・もす[#「もす」に傍線]の範囲から離れようとする意識を特に持つてゐるらしくて、なし[#「なし」に傍線]・なんし[#「なんし」に傍線]・のんし[#「のんし」に傍線]・なも[#「なも」に傍線]などと、音韻が特殊化してゐる。かう言ふ考へ方は、先生の方法を、間違へて流用させて頂いてゐなければ、幸である。
併しいづれにしても、まをす[#「まをす」に傍線]の分化でありながら、それのつく[#「つく」に傍点]筈の連用形には続かずに、終止形(連体形)につく癖がある。
即此は言ふまでもなく、対話敬語(又、丁寧語)で、
[#ここから2字下げ]
行きもうす > 行くもさ
為《シ》もうす > しもさ
[#ここで字下げ終わり]
又、
[#ここから2字下げ]
行きもうす を  行くのし(<行くなもし)
為《シ》もうす  を  するのし(<するなもし)
[#ここで字下げ終わり]
かう言ふ風に連用形につかず、終止連体に続くものゝやうな傾向を示してゐることは、方言文法の飛躍法なのである。
近代の敬語は、対話敬語に犯されて、著しく敬語自身の領域を狭めてしまつてゐる。さうして、敬語と、対話敬語との中間の表現と謂つたものをすら感じて来てゐる。
その代表が、ます[#「ます」に傍点]であるが、決して本来の敬語ではない。勿論古代中世に用ゐられたいます[#「います」に傍点]系統の坐《マ》すではないことは明らかだ。が、時としては「狂言」などに、――殊に狂言に多く遣ふところから起る――ます[#「ます」に傍点](<まをす)の錯覚から古い敬語が残つてゐる感じのする例が、相応にある。
まをす[#「まをす」に傍線]の固定した形のます[#「ます」に傍線]で、とりわけ異風な組織に見えるのは、岩手県地方の、
[#ここから1字下げ]
行つたます[#「行つたます」は太字]
[#ここで字下げ終わり]
の様な「……た」との関係の目につくもの。歴史文法に置き替へて考へると、「行きました」「為《シ》ました」に当るもので、かう言ふ逆表現も、標準語に準拠してゐるやうな感じが持たれたものであらう。表現相からすれば、「為《シ》た」「行つた」の丁寧法を包含した形になつてゐる。今の地方人は、我々もどうかすれば遣ふ――「行つたです」「したです」式に感じもし、遣ひもしてゐるのだらう。
殊に江戸時代の地方人――特に地方指導者が、標準語を採用した目標の一つは、敬語・対話敬語を導入することで、地方語を正醇なものとすることが出来ると考へたことにある。此目的に向つて、努力の積まれてゐたことは、今日の推察以上である。多くの敬語・丁寧語の内には、唯気分的な意義を感じさせるだけで、本来の意義は忘れられたと言ふ風のものも多かつたのである。従つて、丁寧語が敬語と誤られたり、敬語を丁寧語と誤用したり、さう言ふことはありがち[#「ありがち」に傍点]であつた。
 敬語・丁寧語[#「敬語・丁寧語」は太字]
元々丁寧語・対話敬語の語尾だつた「もさ」や「のし」が敬語どころか、気分を緩やかにする所から逸れて、感動語に使はれたのなどは、さうした歴史をはつきりと告げてゐるのである。つまり、敬語表現の必要を、其以前少く感じるだけで済んで来た地方の人々にとつては、「自遜語」「敬語」「対話時の叮重な物言ひ」「感情をゆるめた感動語」さうした雑多な差違を判別する事が、容易でなかつたに違ひない。曾て整然としてゐたものが混乱したと言ふより、整理せられかけたまゝで、又々混乱して行つたり、どこまで遣つて居つても、差別がわからないきりで過ぎたりして、我々の予想するやうに、敬語及び其に似た語の用途は、昔の地方人にぴつたり[#「ぴつたり」に傍点]来なかつたことが多いに違ひない。誤つたまゝで時過ぎて、其が当然の形として通つてゐた上に、又新しく誤りの上に誤りを重ねて遣はれて行つた。その中とりわけ著しいものは、敬語と対話敬語(丁寧語)の上にあつた。
古語における敬語ます[#「ます」に傍線]と、近代に出発した対話敬語ます[#「ます」に傍線]とが、
次へ
全5ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング