交替する原因にも、やはり混乱から来たものが、あつたのである。
ます[#「ます」に傍線]とおなじ頃に現れたらしいのだが、別々に発達して来て、今も使はれてゐる一類がある。
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です(でいす・でんす・どす・だす)
あす(やす・やんす・おす)
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其から稍遅れて、げす[#「げす」に傍線](がす・ごす)も、ある。
此等の語に共通してゐるす[#「す」に傍線]が、一元のものか、又は、似たものが自然に歩み寄りによつて、更に似た点を増して来たものかと言ふ問題は、簡単には解決がつかぬのである。
この中、「です」は、「奴詞」と見て、さし支へはなく、而も相当に、その早期に顕れたものと見ることが出来る。
あす[#「あす」に傍線]は、其と大体時期の近いものだらうが、女性特に「女房詞」を駆使する人たちの間に流行して、後漸くです[#「です」に傍線]の男におけると同様、女性語としては、うはかぶき[#「うはかぶき」に傍線](浮歌舞妓=宛て字)めいた所が、時の好みに合ひ、はすは[#「はすは」に傍点]だが、ある品格[#「品格」に傍点]を持つた詞として、使ひひろげられたものらしいのである。さうして近代殊に、その出発点にあつた上品意識を深めて来るやうになつたらしい。
 す[#「す」は太字]
近代初頭の端手・寛濶な生活を享楽した男女の社会から生れた、と言つても、間違ひのないのは、此「す」を語末に持つた一群である。其殊に目立つものが、右のあす[#「あす」に傍線]であつた。つまり、ある[#「ある」に傍線](或はあり[#「あり」に傍線])とす[#「す」に傍線]が、複合して、「あす」と言ふ様な形が出来、このあす[#「あす」に傍線]が、「で」を複合して「であす」、其からその重母韻がであす[#「であす」に傍線](>でやす)「でえす」「です」「でんす」を過程として、です[#「です」に傍線]・どす[#「どす」に傍線]・だす[#「だす」に傍線]など、相当反省的[#「反省的」に傍点]な音韻分化が行はれたものらしい。
このです[#「です」に傍線]分化の径路は、極めてごす[#「ごす」に傍線](ごんす)・がす[#「がす」に傍線](がんす)・げす[#「げす」に傍線]に似てゐる。標準語自負を持つた大都市相互の間、或はその一つ都会においてすら、言語|衒《テラ》ひする奴や、初期の歌舞妓衆の、自由過ぎた選択が行はれてゐた。その為に、度を超えた発音矯飾が行はれたのではないか。ごす[#「ごす」に傍線]一類のものは、その分化が余程近時のものであつた上に、極めて狭い範囲で、急速に岐れたゝめ――そのあるものは、相当に古いのだが、――遅く分出した多くのものゝ為に、この語類は、新しい発生の様に見えるかとも言へるのである。
です[#「です」に傍線]系統のものは、或は既に中世期末に起つて居た――勿論、その中世は室町期を中世末と見る考へ方であるが――との観察も凡誤りではない。
甚方言的には聞えても、ともかく口語風の記録には残つて居り、同時にまたその口語が「狂言詞」と言はれる中世末対話を基準とする京都語である。だが、一つ/\の単語については、時代性の確実でないものが多いと言ふ外はない。だが、一往は室町時代に、その頃の標準語らしいもので書かれたもの、と一般の学者から考へられて来た狂言である。
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つまり、狂言の成立期に到達した、室町時代の口立《クチダ》ての詞章から作成した台本。其を準拠として、又ある程度まで洗煉せられた口頭詞章が、又更に記録せられ、其が又演出を重ね/\して来た狂言詞章である。其多くの狂言の中の極めて僅かな物だけは、所謂室町時代記録の素朴な原態を残してゐるだらうと思はれる。が、大抵は台本の改訂を重ねて、室町の原型は残つてゐても、構成や、用語の変化しないで居る筈がない。その中、度々くり返されたものは、遥か後の江戸期に入つてからの変更部分の、存外多いことを、考慮に入れてかゝらねばならぬ。言はゞ、綿密な注意を以て書いた擬古文と言ふことは出来ても、狂言の個処々々の用語が、そのまゝ学者の空想するやうな、純然たる室町の古語ではない。中には、狂言上の標準用語と言ふべき語は、さう多くはない。だから、実際其々の台本の固定した時期は遅れてゐても、その語の用語範囲は、古いものと見てさし支へがないとする考へも出て来るであらう。併し其は、概念としてはあるべきことで、実地、用語の個々の場合に当つて見ると、やはり相当の時代飛躍の多いことが見られる。だから、です[#「です」に傍線]の場合も、京都辺の流行語となつて、狂言に頻出するに到つたのは、所謂最古い台本時代のことではないかも知れぬのである。此懸念は、です[#「です」に傍線]系統の語だけでなく、相当に多くの場合にあるのだから、当然、問題にしておく必要がある。
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です[#「です」に傍線]の語幹に含まれたあす[#「あす」に傍線]を、あそばす[#「あそばす」に傍線]から出た略語だと信じてゐる人もあるらしい。敬語のあそばす[#「あそばす」に傍線]が、さう単純に、対話敬語「あす」となつたかは、まだ問題である。
 候[#「候」は太字] そお[#「そお」は太字]
語原を一つのものとする考へ方は、今も信じられてゐる。併し、語原を一元とする考へ方は、事実から見ると、多くの場合、空想に過ぎない。第一語原によつても成立するが、第二・第三語原が、其に附加して、語の意味は、かつきりと成立して来るものなのである。語原観に到達してゐない語もあるが、ともかく第一次語原とも言ふべきものゝ外に、他の語原解釈を含みながら、語は使はれて、成長して行く。
す[#「す」に傍線]もあす[#「あす」に傍線]から出てゐると見るのが、私は正しいのだと信じてゐる。が、ある時期からは、確かに他の語原観が入りこんで、其が、第一語原を、明らかに崩して来る。さぶらふ[#「さぶらふ」に傍線](候)の歴史は長いが、武家になつて、之を標準語にとり上げたことも、久しいものである。
閑吟集の小唄・狂言小唄並びに、散文としては、狂言の中に現れて来る対話上の候の変容。此は、相当考へて見るねうち[#「ねうち」に傍点]がある。
小唄類に、「……す」「……すよ」「……すよの」があり、之に並行して「……そよ」「……そよの」が出て来る。言ふまでもなく、「候《サフロ》」から来た「そ[#「そ」に白丸傍点]よ」「候《ソウ》[#「候《ソウ》」に白丸傍点]よ」であること疑ひもないのだが、小唄・狂言には、大抵の場合、「然《ソ》よ」「然《サ》うよ」「然《サ》うよの」と言ふ風に、誰も解釈して来たらしい。かう感受する事の方が、当時の人にも快かつたのだらう。「さぶらふ」には、発音の近い二つの語がある。候の外に「三郎」と言ふ固有名詞系統のがある。此は、性質は違ひ乍ら、様式の上ばかりでは、並行を続けてゐる。さぶろ[#「さぶろ」に傍線]>さう[#「さう」に傍線]>そお[#「そお」に傍線]と言ふ風に、人の名と、候が全くおなじ筋を行くのもおもしろい。
室町文献と思はれるものに、「そろ」「そう」の方が、「す」「すよ」より数の多いのは、其方が標準語に近いと言ふ感じを残して居た為に、歌謡・狂言類にすら、よほどくだけた[#「くだけた」に傍点]表現の外は、す[#「す」に傍線]・すよ[#「すよ」に傍線]が少い理由が察せられる。
 里ことば[#「里ことば」は太字]
江戸の吉原ことばは、新吉原時代になつても、まだ旧態を持ち越してゐた。古い遊廓の来歴が、其に示されると信じてゐたのが、遊里のくつわ[#「くつわ」に傍点]が持つた誇りだつたのである。吉原の各遊女屋は、それ/″\の国から集つて、一廓をなすに至つたもので、家々皆々出身地方の風習を存して居た中にも、言語は特に郷土の用語を更めることなく使つてゐたと称せられた。其が、自らくつわ[#「くつわ」に傍点]のふおくろあ[#「ふおくろあ」に傍線]をなすに到つたと言はれるかも知れない。遊女の用語は其によつて、部分的に異同があつて、それ/″\の家の特色としてゐた。
この伝承はある点まで事実だつたらうし、家々の女の生活行事は、大同小異の特殊な様式を残してゐた。
併し此は、必しも吉原だけのことではない。
京の島原・大阪の新町の妓楼《クツワ》の家々にも、同様のことが見られ、その他地方々々の古い遊廓にも、其が古格を誇る家々の特徴、とせられてゐたやうである。
江戸において見ても、吉原語同様のものは、其以外の遊廓にも用ゐられ、岡場所など言はれる私娼街でも、似たりよつたりの特殊語は発育してゐた。洒落本やある種の黄表紙は、ある点から言へば、さう言ふ語の駆使を誇つてゐるやうにさへ見える。此等は恐らく、小遊廓の生活に、自然異同が生じて来る上に、吉原語の普遍的なものを、移植した所から来たものであらう。その一例、
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なんす(なんし=軽命令形)――なます……敬語
ざます(ざあます)……対話敬語
……ansu(思はんす・行かんすの類)……敬語
……insu(いきんす・見《ミ》んす・為《シ》んす)……対話敬語
……insen(いきんせん)……否定
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右の中、なんす[#「なんす」に傍線]は、なさんす[#「なさんす」に傍線]の略形、恐らく、なはんす[#「なはんす」に傍線]を経過したものだらう。
……すの類の ansu は、右の里語以外にも広く行はれた「通常安易敬語」で、古代から中世を経て来た「行かす」「思はす」の、方言化して行はれてゐたものらしく見えるが、此は断言する訣にはゆかぬ。おなじ筋の行かつす[#「行かつす」に傍線]・思はつす[#「思はつす」に傍線]と促音化したものは、江戸では職人・町人の敬語となつて残つたが、此は元来の遊廓語ときめることは出来ぬ。存外高い階級に行はれた「御殿語」といふやうなものゝ、市中に流れ出て、身分のある者から、低い人々へ逓下したものらしく思はれる。地方慰楽語と命けてよいものであらう。いきんす[#「いきんす」に傍線]・しんす[#「しんす」に傍線](又、……iisu)の類は、吉原の一部や、岡場所語としては、「いきいす」又は「いきんす」「おつせいす」(仰)を普通としてゐ、特に insu(「いきんす」「ありんす」)の場合、遊里情趣が表現せられるものと考へたらしい。
いんす・あんす、ざます[#「ざます」に傍線]は「ござります」が故意の又は放恣な発音によつて、音韻没入を来したもので、「ござります」の与へる真摯な感覚を避けてゐるやうに見える。ご[#「ご」に傍線]をまづ脱し、次いで、「り」を不正確に発音して、遂に之を滅却させたものであつた。最近別の事情で、同じ語の同じ変化が見られるやうになつたのである。中流以上の夫人階級の女性が階級感の発露を感じるらしくて、そこに偶然此音韻現象の復活を見た。所謂「ざあます」語である。「ござあます」から転じたのである。此方はあくせんと[#「あくせんと」に傍線]を「ざ」において、強調する所から起つたものらしい。
この類の遊廓語の中、敬語・丁寧語の一部をあげたのだが、固有名詞その他の単語の上にも、又種々の異風が行はれてゐた。だが今は其に触れない。
こゝに問題となるのは、「行かんす」と「行きんす」とで、殊に「さかい」の場合には、後者が多くの暗示を見せてゐる。「行かんす」の類の「す」は、先に述べた古くからの敬語々尾に似たもので、或は時代的の傾向としては、「行かァす」「思はァす」の如き特殊な音韻が加つて来てゐるものと見るべきであらうか。行かんす古形説を一往避けたが、たとへば、「行かさす」(敬)、「思はさす」(敬)が拗撥音表情を加へて「行かしやんす」「思はしやんす」と発音する様になつた所に、活用長期残存とも言ふべき、語法の時代色が伺はれる様である。
唯これは何処までも、敬語として所謂将然形系統の特殊相を、後世になつても、保持したものと言ふことが出来る。
今は別に、「行かんす」「思はんす」と殆同一の構造に見えるやうに出来て居乍ら、意義の違ふいきんす
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