ふことは、さかい[#「さかい」に傍線]の歴史が、文献に保存せられなかつた前時代を、ほの見せてゐるのだらう。
 よつてに[#「よつてに」は太字] よつて[#「よつて」は太字]
さかい[#「さかい」に傍線]の行はれる範囲と言つても広いが、明治の小学教育の普及した頃から、ついで中学教育の盛んになり出した頃――三十年頃からの傾向として、標準方言選択が盛んになり、さかいに[#「さかいに」に傍線]・さかい[#「さかい」に傍線]を避ける傾向が烈しくなつた。其は同時に、よつて[#「よつて」に傍線]が勢を得るやうになつたことである。よつて[#「よつて」に傍線]・よつてに[#「よつてに」に傍線]と、する[#「する」に傍線]・ゆく[#「ゆく」に傍線]・おもふ[#「おもふ」に傍線]など言ふ動詞との続きあひは、方言的だが、「……に・よつて」と言へば、口語古典式又は、文章語式に聞えるところから、「するよつて」「行くよつて」など、よつて[#「よつて」に傍線]の方に片よる傾向が出て来た様である。
明治盛期、上方語が一つの方言としての自覚を持ち出した頃の選択が、かう言ふ所から現れた。従つてさかい[#「さかい」に傍線]・さかいに[#「さかいに」に傍線]の上によつて[#「よつて」に傍線]があり、その上にから[#「から」に傍線]が「えどつこ」として勢力を占めて来るやうになつた。
此から推すと、さかい[#「さかい」に傍線]も江戸の中期以前は、さかいで[#「さかいで」に傍線]が優勢であつたのが、後には、さかいに[#「さかいに」に傍線]からさかい[#「さかい」に傍線]と単純化せられて行つたのは、から[#「から」に傍線]のやうな「単語尾」化を欲する方に向つたのである。
「行くよつて」「行くよつてに」が、「行くさかい」「行くさかいに」と、文法組織まで同じであることは、注意を要する。簡単に考へれば、明治の地方国語教育が、方言にはたらきかけて、から[#「から」に傍線]に最類似したよつて[#「よつて」に傍線]、でなければ、せい/″\さかい[#「さかい」に傍線]を選ぶ様に為向けたと言へよう。其に、さかい[#「さかい」に傍線]・よつて[#「よつて」に傍線]・から[#「から」に傍線]ならば、等しく終止形に完全につくといふ事実を認めることが出来る。方言の隠れた動きが、そこに出て来てゐる訣だ。
 方言要素の生滅[#「方言要素の生滅」は太字]
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今朝の嵐は、嵐では無《ナ》げに候《ス》よの。大堰《オホヰ》川の川の瀬の音ぢやげに候《ス》よなう。(閑吟集)
水がこほるやらむ。みなと川が細り候《ス》よの。我らも独り寝に、身が細り候《ス》よの。(同じく)
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方言に消長はありながら亡びきらないで、時を得て興つて来る――思想が気分化して、極めて低度に意識下に残つてゐる例と言ふべきか、或は長年月の間、凡変化なく保たれてゐる例か、語感は相当に変りながら、文法的組織は大して変らずに持ちこたへて、年月を経るのか、さう言ふことが、もつとはつきりせぬ以上は、何の疑問もなく、「行きす」「思ひす」「とりす」など言ふ江戸遊廓方言にまで、「ゆきすかい」「ゆくさかい」「ゆくしけ」が、直接に続いてゐたもの、と単純に考へることは、躊躇した方が安全である。だが、さうばかりおつかなびつくり[#「おつかなびつくり」に傍線]でゐることは、学問の流れの細ることである。形は、「細ります」「細つてゐます」の細りす[#「細りす」に傍線]であるが、まだ/\「細り候」の語原意識は失はれてゐないのである。「なげにす」など言ふ、形そのものは方言に生き残つてはゐなくても、文法上には、絶えつゝ継がるゝ、一つの脈絡を、こゝに認めてもよい。此が文法史・国語史の持つ、手には取られないで、目に見える連環である。
この「す」に、「から」のかい[#「かい」に傍線]、「から」「からに」のけ[#「け」に傍線]・けに[#「けに」に傍線]・けん[#「けん」に傍線]のつくことも、考へて不都合は少しもなく、又事実「すかい」「しかい」「すけ」など、同型の語は、今も方言にはどつさり残つてゐる。其に亦、「すかい」が、「さかい」と関係を持つてゐることも、成立の順序を簡単に断言しない限り、筋目の通つてゐるのは事実である。
対話敬語としての感覚を失つた「すかい」が即、さかい[#「さかい」に傍線]に最近い血続きである。かう言ふ風にして、「さかい」が現れたと言ふだけは、大体は説明もつくし、説明にあやまりもないだらう。
 さかいの[#「さかいの」は太字] さ[#「さ」は太字] すかいの[#「すかいの」は太字] す[#「す」は太字]
唯残る所さかい[#「さかい」に傍線]とすかい[#「すかい」に傍線]とでは、文法の連接関係が違ふと言ふ当然起りさうな論も、音韻変化からすれば、問題のなくなるほど、あつけなく解決が出来る。又事実さうだつたかも知れぬが、有機的な文法組織を踏まへてさかい[#「さかい」に傍線]が出来たものと考へれば、尚若干、説明の余地は残る訣である。
音韻変化説(さかい<すかい)も、有機的なものを無機化するやうな弱点を持つたものとして、出来れば避けるのが、よいであらう。一層のこと、先に触れたやうに、「すかい」「さかい」以前のさ[#「さ」に傍線]であつても、す[#「す」に傍線]であつても、意義に区別なく、さかい[#「さかい」に傍線]・すかい[#「すかい」に傍線](或は又しかい[#「しかい」に傍点])が通用してゐた時代も考へて、そこまで溯らせるのならば、有機的音転として成り立ちさうでもある。おなじ室町時代でも、鎌倉期をひきついだ僧家と、其学の後なる儒家の鈔物類に見えるものは、さう言ふ学者の用語の素朴な口の上の音韻変化が、極めて自由であつて、我々の意想外な発見を予期することが出来る様だ。「さかい」「すかい」の解決も、こんなところから、ついて来ないでもなからう。
閑吟集や、狂言に、まことに偶然とでも言ふやうに書き残された、口ことば[#「口ことば」に傍点]の生態は、時代としては直に、鈔物の時代に接してゐる。だが、こゝには、限度を考へてかゝる必要がある。
さかい[#「さかい」に傍線]の歴史を、無限に近く延長することになる虞れがある。其は、標準語から落伍した、単に一つの長い流行語に過ぎない。其からして、日本語の歴史の窺はれるやうな、大げさなとり扱ひはしたくないものである。此が、この方言の中に育つた者の、辛うじて持ちこたへてゐる、せい一ぱいの良識である。



底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
   1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「言語民俗論叢」
   1953(昭和28)年5月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十八年五月刊、金田一博士古稀記念「言語民俗論叢」」はファイル末の「初出」欄に移しました
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年4月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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