化からすれば、問題のなくなるほど、あつけなく解決が出来る。又事実さうだつたかも知れぬが、有機的な文法組織を踏まへてさかい[#「さかい」に傍線]が出来たものと考へれば、尚若干、説明の余地は残る訣である。
音韻変化説(さかい<すかい)も、有機的なものを無機化するやうな弱点を持つたものとして、出来れば避けるのが、よいであらう。一層のこと、先に触れたやうに、「すかい」「さかい」以前のさ[#「さ」に傍線]であつても、す[#「す」に傍線]であつても、意義に区別なく、さかい[#「さかい」に傍線]・すかい[#「すかい」に傍線](或は又しかい[#「しかい」に傍点])が通用してゐた時代も考へて、そこまで溯らせるのならば、有機的音転として成り立ちさうでもある。おなじ室町時代でも、鎌倉期をひきついだ僧家と、其学の後なる儒家の鈔物類に見えるものは、さう言ふ学者の用語の素朴な口の上の音韻変化が、極めて自由であつて、我々の意想外な発見を予期することが出来る様だ。「さかい」「すかい」の解決も、こんなところから、ついて来ないでもなからう。
閑吟集や、狂言に、まことに偶然とでも言ふやうに書き残された、口ことば[#「口こと
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