らしいものは推察出来なくなつてしまつてゐることは、上方のさかい[#「さかい」に傍線]と、ちつとも変らぬ程度なのである。
 敬語観の基礎[#「敬語観の基礎」は太字]
それは唯、恰も昔の感動詞か、置き字・挿入語と言つた風にしか受けとれない。一番聯想の近いのは、柳田先生の触れてゐられる「ぢや」「だ」等の「である」――系統のものとして拡げて考へれば、その方向へ更に展開して見ることが出来るやうな感じさへする。
敬語系統の語づかひに馴れなかつた地方人は、標準語として這入つて来た敬語・丁寧語を、その地方言語順列の中にとり込んでも、やがて敬語・敬礼語らしい感じも失つて行くか――或は、さう言ふ敬語感をとり入れるだけの素地に乏しかつた。だがさう言ふ事を重ねて行つてる間に、地方的言語の総体感が、幾分づゝか雅馴なものになつて行つたことだけは疑はれない。
敬語を敬語として遣つてゐても、敬語習慣が、人の心に熟して来るものとは言へない。かい[#「かい」に傍線]とす[#「す」に傍線]と結合したすかい[#「すかい」に傍線]が使はれてゐても、「なさるから」「なさつたから」など言ふ感情は、初めから終りまで人々に起らないで過
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