において当時の写実語が出て来る。其は、「候ことば」ではないのである。
ところが、今一つ狂言詞において異様な事がある。
当時の流行語――洗煉せられた語と考へられてゐて、而も実際はさほどでない。――洗煉せられたと思ふ所に狂言詞の癖があり、ある歴史があるのである。流行語を使ひ馴れてゐる様な人々、さう謂つた雰囲気に居る者共のしやれた[#「しやれた」に傍点]らしい言ひ方の、実は品格の上では賛成の出来ぬものが、狂言用語の中には、相当に使はれてゐるのである。
此は思ふに、前代以来我々が能・狂言役者の類の人々に対して、その能芸人らしい生活を、実際より遥かに静かな、うち和んだ優美なものと言ふ風に考へる誤認の癖があつた。彼らの生活はもつと放恣で、濶達で、飄遊者風で、多くの場合、無頼的ですらもあり、時としては様々の賤民部落の人々の生活そのまゝでもあつた。狂言だけについて言つても、あの中におのづから描写せられてゐる其時世装の上に、気随な大名・諸侍《シヨザムラヒ》や、水破《スツパ》無頼の徒や、人妻|拐《カド》ひ・放蕩人の類として現れてゐる。さう言ふ、過差・豪華な生活を楽しんだ一部の者の姿は、亦彼等の、世間に大手
前へ 次へ
全46ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング