に与へる。
あす[#「あす」に傍線]・です[#「です」に傍線]などのす[#「す」に傍線]とは根柢に違ひがあるのだが、之をおなじだと説いても、誤りとは言はれない。此が語原論の実態なのである。
今も言つた様に、「てす」の意義ははつきりしてゐるのだが、かうした例を集めて見ても、「てす」「です」が愈似てさへ来る。併し雑多な感受が混淆して来る、さう言ふ考へも導かれるので、大体において、「てす」と「です」とは、同時代に並行して流行した語で、妙に丁寧な感覚を持つてゐ乍ら、無頼人の間に使ひ馴れのした語であつた。発語者は、まづおのれの身分を高く人に感じさせ、その相手までも対等以上に取り扱ふやうな待遇感を持たせてゐて、而も軽視する心持ちさへ含めることが出来る。特別な場合の外は、多く一人称の叙述語である。
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隠れもない射手です(靱猿)
隠れもない大名です(鹿島詣)
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です[#「です」に傍点]の場合は特に、狂言方によつて、そのあくせんと[#「あくせんと」に傍線]及び其発音が、我々の心を牽くやうな、「でえす」「であす」など、語原観を動揺させるやうな発音をする。が、必しも、其等は狂言の標準古典発音によつてゐるものともきめられぬ。
でする[#「でする」は太字] まする[#「まする」は太字]
泉鏡花は、時々その小説に新旧二様の語を使ふ者を対立させて、対立した人間の性格や、生活をある点まで、書き分けようとした。殊に硬い詞を使ふ者に、頑冥不霊な魂を与へることが、意外なほど多い。とりわけ「風流線」「続風流線」では、大山某といふ、唯一人古格な方言でおし通して物を言ふ、社会救済事業家を出してゐる。極端なほど、でえする[#「でえする」に傍線]と言ふ語を、一貫して遣ふのである。而も之に対して金沢市の有識階級の人々には、有識の標識の様に、「です」を用ゐさせて居る。此偉大な偽善家に限つて、人並みの「です」を遣はせなかつた。鏡花は、極めて醜く頑なゝ精神を表現するのに、此古風な方言を、適切なものと考へたのであらう。
我々の知つた限りでは、でいする[#「でいする」に傍線]がです[#「です」に傍線]に先立つて行はれた例を知らぬが、――相当に古い歴史を持つです[#「です」に傍点]が、明治に標準語化するまでの期間、一地方において経過したでする[#「でする」に傍線]・でいする[#「
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