において当時の写実語が出て来る。其は、「候ことば」ではないのである。
ところが、今一つ狂言詞において異様な事がある。
当時の流行語――洗煉せられた語と考へられてゐて、而も実際はさほどでない。――洗煉せられたと思ふ所に狂言詞の癖があり、ある歴史があるのである。流行語を使ひ馴れてゐる様な人々、さう謂つた雰囲気に居る者共のしやれた[#「しやれた」に傍点]らしい言ひ方の、実は品格の上では賛成の出来ぬものが、狂言用語の中には、相当に使はれてゐるのである。
此は思ふに、前代以来我々が能・狂言役者の類の人々に対して、その能芸人らしい生活を、実際より遥かに静かな、うち和んだ優美なものと言ふ風に考へる誤認の癖があつた。彼らの生活はもつと放恣で、濶達で、飄遊者風で、多くの場合、無頼的ですらもあり、時としては様々の賤民部落の人々の生活そのまゝでもあつた。狂言だけについて言つても、あの中におのづから描写せられてゐる其時世装の上に、気随な大名・諸侍《シヨザムラヒ》や、水破《スツパ》無頼の徒や、人妻|拐《カド》ひ・放蕩人の類として現れてゐる。さう言ふ、過差・豪華な生活を楽しんだ一部の者の姿は、亦彼等の、世間に大手を振つてあるいた、ありの儘でもあつた。彼等自身の遣ふ語も、都会的な流行を追うてゐた。我々は今でも、狂言詞の大きな特徴が、どう言ふ生活の中から、おし出されて来たかを見ることが出来る。
狂言詞[#「狂言詞」は太字]
[#ここから2字下げ]
(白蔵主の詞)けふは、思ふ子細あつて、案内を乞うてす[#「す」に白丸傍点]は 「釣狐」以下、三百番本による。
(群衆の詞)皆言ひ合せて、まかり出でてす[#「す」に白丸傍点]は 「薬水」
[#ここで字下げ終わり]
これを直訳すれば、恰も、現代語の「……したことですは」と言ふことになる。併し、「す」は「です」ではない。「……乞ひて[#「て」に二重丸傍点]候[#「候」に白丸傍点]よ」「……罷り出でて[#「て」に二重丸傍点]候[#「候」に白丸傍点]よ」が、正しい逐字訳見たやうな形である。「て」は、現在完了助動詞の連用形につくて[#「て」に傍線]、其についで対話敬語としての「す」が這入つて居り、更に接尾感動語として「は(わ)」が添はつてゐる。而もこの「す」は、明らかに、候が語原である。
にも繋らず、更に一段の古語から出て、中世末まで残つたものゝ様な感じを、人
前へ
次へ
全23ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング