でいする」に傍線]様式を、重量ある表現に値するものとして、泉氏は利用したのである。
我々の標準語・方言の関繋の上に、存外終止形の語尾の部分に、一つ余計に附く「る」の存在を気にしないで来てゐるのではないか。
戯曲語によく出て、あらたまつた表現らしい感じを与へる「……申するに」と言ふ語は、其と似た形と、それ/″\別々の意味を持つて孤立してゐる語として考へてよいのか、其とも何か筋のとほつた理由があるのか、と言ふことが気にならぬでもない。「申す」を「申する」と言ふのと無関繋には見過されない。
その申す[#「申す」に傍点]から出た「ます」には、「まする」が殊に多いのを見て来てゐる。此は、果して終止でなく、連体か、「ます」が正しいのか、「まする」は全然否認すべきものか、決定したくなることが誰にもなかつたか。こゝにも便宜上、古い例の多い狂言から引いて見る。
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「通辞[#「通辞」は小書き]日本人ゐまするか。アド[#「アド」は小書き]これにゐまする。  「唐人相撲」
「二郎[#「二郎」は小書き]この上は、こなたへ(亀を)あげまするによつて……  「浦島」
[#ここで字下げ終わり]
勿論、同様の用法に遣はれてゐる「ます」もあるが、此が為に二つのます[#「ます」に傍線]が混乱してゐる訣ではない。それ/″\に、筋は立つてゐる。だが何処まで行つても二つのます[#「ます」に傍線]が二つともに、全然敬語系の「ます」ではなく、「申す」属の「ます」「ます・る」なのだ。
「でいする」が古風で、一方極端に著実にも聞えるやうに、「まする」も丁寧法の律義正直な感じを受けるのだらう。
 ます[#「ます」は太字] まする[#「まする」は太字]
「申する」と「まする」との間に恐らくさうした関繋があるのだらう。ある時期の傾向として、さう言ふ方言めいてくど/\しく、卑屈にさへ聞える形が遣ひ出されたものであらう。さうして此が、極めて叮重に語り了せる終止形だと考へ、それが、如何にも丁寧感を深めることに満足したものであらう。即此で、「切口上」で、さうして完全に叮重感を盛ることになると言ふ気がしたのだらう。「てす」と「です」との間には、先に言つた誤解は出ないでもないが、大体、語根として、関繋はなかつた。「で」は「にて」であり、「て」は助動詞の又は其接続語化しようとしてゐたのに過ぎない。さうして其々、「す
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