にしておく必要がある。
[#ここで字下げ終わり]
です[#「です」に傍線]の語幹に含まれたあす[#「あす」に傍線]を、あそばす[#「あそばす」に傍線]から出た略語だと信じてゐる人もあるらしい。敬語のあそばす[#「あそばす」に傍線]が、さう単純に、対話敬語「あす」となつたかは、まだ問題である。
候[#「候」は太字] そお[#「そお」は太字]
語原を一つのものとする考へ方は、今も信じられてゐる。併し、語原を一元とする考へ方は、事実から見ると、多くの場合、空想に過ぎない。第一語原によつても成立するが、第二・第三語原が、其に附加して、語の意味は、かつきりと成立して来るものなのである。語原観に到達してゐない語もあるが、ともかく第一次語原とも言ふべきものゝ外に、他の語原解釈を含みながら、語は使はれて、成長して行く。
す[#「す」に傍線]もあす[#「あす」に傍線]から出てゐると見るのが、私は正しいのだと信じてゐる。が、ある時期からは、確かに他の語原観が入りこんで、其が、第一語原を、明らかに崩して来る。さぶらふ[#「さぶらふ」に傍線](候)の歴史は長いが、武家になつて、之を標準語にとり上げたことも、久しいものである。
閑吟集の小唄・狂言小唄並びに、散文としては、狂言の中に現れて来る対話上の候の変容。此は、相当考へて見るねうち[#「ねうち」に傍点]がある。
小唄類に、「……す」「……すよ」「……すよの」があり、之に並行して「……そよ」「……そよの」が出て来る。言ふまでもなく、「候《サフロ》」から来た「そ[#「そ」に白丸傍点]よ」「候《ソウ》[#「候《ソウ》」に白丸傍点]よ」であること疑ひもないのだが、小唄・狂言には、大抵の場合、「然《ソ》よ」「然《サ》うよ」「然《サ》うよの」と言ふ風に、誰も解釈して来たらしい。かう感受する事の方が、当時の人にも快かつたのだらう。「さぶらふ」には、発音の近い二つの語がある。候の外に「三郎」と言ふ固有名詞系統のがある。此は、性質は違ひ乍ら、様式の上ばかりでは、並行を続けてゐる。さぶろ[#「さぶろ」に傍線]>さう[#「さう」に傍線]>そお[#「そお」に傍線]と言ふ風に、人の名と、候が全くおなじ筋を行くのもおもしろい。
室町文献と思はれるものに、「そろ」「そう」の方が、「す」「すよ」より数の多いのは、其方が標準語に近いと言ふ感じを残して居た為に、歌謡・狂言
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