択が行はれてゐた。その為に、度を超えた発音矯飾が行はれたのではないか。ごす[#「ごす」に傍線]一類のものは、その分化が余程近時のものであつた上に、極めて狭い範囲で、急速に岐れたゝめ――そのあるものは、相当に古いのだが、――遅く分出した多くのものゝ為に、この語類は、新しい発生の様に見えるかとも言へるのである。
です[#「です」に傍線]系統のものは、或は既に中世期末に起つて居た――勿論、その中世は室町期を中世末と見る考へ方であるが――との観察も凡誤りではない。
甚方言的には聞えても、ともかく口語風の記録には残つて居り、同時にまたその口語が「狂言詞」と言はれる中世末対話を基準とする京都語である。だが、一つ/\の単語については、時代性の確実でないものが多いと言ふ外はない。だが、一往は室町時代に、その頃の標準語らしいもので書かれたもの、と一般の学者から考へられて来た狂言である。
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つまり、狂言の成立期に到達した、室町時代の口立《クチダ》ての詞章から作成した台本。其を準拠として、又ある程度まで洗煉せられた口頭詞章が、又更に記録せられ、其が又演出を重ね/\して来た狂言詞章である。其多くの狂言の中の極めて僅かな物だけは、所謂室町時代記録の素朴な原態を残してゐるだらうと思はれる。が、大抵は台本の改訂を重ねて、室町の原型は残つてゐても、構成や、用語の変化しないで居る筈がない。その中、度々くり返されたものは、遥か後の江戸期に入つてからの変更部分の、存外多いことを、考慮に入れてかゝらねばならぬ。言はゞ、綿密な注意を以て書いた擬古文と言ふことは出来ても、狂言の個処々々の用語が、そのまゝ学者の空想するやうな、純然たる室町の古語ではない。中には、狂言上の標準用語と言ふべき語は、さう多くはない。だから、実際其々の台本の固定した時期は遅れてゐても、その語の用語範囲は、古いものと見てさし支へがないとする考へも出て来るであらう。併し其は、概念としてはあるべきことで、実地、用語の個々の場合に当つて見ると、やはり相当の時代飛躍の多いことが見られる。だから、です[#「です」に傍線]の場合も、京都辺の流行語となつて、狂言に頻出するに到つたのは、所謂最古い台本時代のことではないかも知れぬのである。此懸念は、です[#「です」に傍線]系統の語だけでなく、相当に多くの場合にあるのだから、当然、問題
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