がい》は浮いていたのである。
君子は、この老人の顔を、しっかり記憶していたつもりだった。それはこの老人の死骸を見せてくれただけでなく、君子を祖母のところにまで送りとどけてくれたのであるから。だがよく覚えていたつもりの老人の顔も、年を経《へ》るにしたがって曖昧《あいまい》になり、その後に知った木賃宿《きちんやど》の主人《あるじ》や、泊まり合わして心安くなった旅芸人の老人なぞの顔とごっちゃになり、まったく記憶の外に逃げ去って、今では思い出すことさえできなくなっている。あるいはよく覚えていたと思うことさえたのみにならぬことであったかもしれない。もちろんこの地方の豪家らしい家のことなぞ、夢のようにしか記憶に残っていない。
祖母の語ったところによると、君子と母が発足してから六日目の夜、君子は一人で大きな人形を抱いて掘っ立て小屋に帰ってきたということである。お母さんはどうしたか。と尋ねても、ただ大きなご門のなかにはいったまま出てこなかったということ、お母さんは死んでお池のなかに浮いていた、というだけで、なにを尋ねても要領を得ず、誰と一緒に帰ってきたのかと聞くと、よその伯父さん、と答えるだけで、
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