ねることにきめていた。それはいうまでもなく夢のように記憶の底にある池の畔《ほとり》の森に囲まれた家を捜すためである。家の主人は一里ばかり離れたところに大きな池があると教えてくれた。そして、むかしこの町の庄屋に双生児《ふたご》があって非常に仲がわるく、兄弟が争った末についに弟は家に火を放《つ》けた。そのため町は焼土と化して全滅した。それから双生児は敵《かたき》の生まれかわりだといって町の人達は極度に忌《い》みきらった。ところが庄屋のうちにまた双生児が生まれた。双生児を産んだ庄屋の嫁は、それを苦にして双生児を抱いたまま、池に身を投げて死んだ。その池は今でも『ふた子池』とよばれている。そして、その池の周囲の畑にできる茗荷は二つずつ抱き合った形でできるという古くから伝わっている説を話してくれた。
君子がふた子池のほとりにある豪家に女中としてやとわれてきたのは、それから間もないことであった。この家にやとわれてきてから君子の身体のどっかに潜んでいた記憶が一つ一つ浮き上がってきた。大名のお城のような大きな門や、玄関の脇につってある塗り駕寵、龍吐水の箱など、それはいつも事実が想像より醜いものであるように、ほこりにまみれて見るかげもなく損じてはいるが、夢のように君子の記憶の底に沈んでいるそれに違いはなかった。ことに抱茗荷の紋をちりばめた大名の乗るような黒塗りの駕籠を見上げたとき、深い靄《もや》が一度に晴れるように、抱茗荷の紋がはっきりと思い出せた。それは、門のなかにはいって行く母の姿を見送ったとき、母がかぶっていたお高祖頭巾の背中に垂れたところに染め出されていた大きな紋であった。
母の死骸が浮いていた、と記憶する池の畔《ほとり》へも行ってみた。そこには、みごとに花をつけた椿の枝が水の上におおいかぶさり、落ちた椿の花がすこし赤茶気た、しかし琥珀《こはく》をとかしたように澄んでいる浅い水底に沈んでいた。まだ水に浮いている花もあった。じつと水を見ているとお高祖頭巾をかぶったままの母の美しい死骸が、底にすきとおって見えるようだった。
こんな浅いところで死ねるだろうかしら、ふと君子は思った。たった一人の子である自分を門の外に待たしたまま母は自殺することができただろうか、お高祖頭巾の遍路が金のお札を飲まそうとしたのは父ではなく母であったはずだ。母は殺されたのではないか――母は殺されたのだ――そう思うと今まで夢のように思っていたいろいろの謎が少しずつ解けるように思われる。中風で口も、身体も自由が利かず寝たままの老女の頭髪は、よほど薄くはなっているが黒い毛の一本もまざらぬ白髪ではないか。下男の父は既に死んだということではあるが、それが十年前送ってきた老人に違いない。
かりに、中風で寝ている白髪の老婆と、未亡人《おくさん》を、そのときの二人の女遍路として考えてみれば、二人は母が金のお札を飲んで死んだものと思っていたに違いない。それが数年を経てひょっこり現われた。殺されねばならなかったと想像することは決して無理ではない。未亡人といえば君子に不思議でならないことがある。それは君子が幼な心に覚えている母の面影とよく似ていることだ。母の殺された原因がここにあるのではないか。
そう考えだした君子はこの謎を解くために苦しみとおしたが、結局これを解く鍵は人形より外にはないと思った。
ある夜、ふけてから君子はそっと人形を出して見た。まず着物をはがし、襦袢から着物、帯にいたるまで丹念《たんねん》に調べて見たが、そこにはなんの不思議もなかった。背中に書いてある『抱茗荷《だきみょうが》の説』とは、結局|相剋《そうこく》する双生児の伝説に違いない。と、すぐ考えられたが、左の乳の上に描かれている梅の模様はなんの意味であるのか、君子には容易に解けぬ謎であった。考えあぐんだ末に、君子は『抱茗荷の説』と人形の背中に書いてあるのは、内容を現わす題名に違いない。だからこの人形のどこかにその内容が隠されているのではないか。この上は人形の内部よりほかに探すところはない。君子は思いきって人形の首を抜いて見た。果たしてそこに一枚のかきつけが隠されてあった。
姉妹は、抱茗荷の説をそのまま、敵《かたき》どうしの双生児として生まれました。そして二人はいずれとも区別のつかぬほどよく似ていたのです。姉妹の母は姉妹にそれぞれ一つずつ人形を与えましたが、その人形を区別するために別々の衣裳をつけさせました。しかし人形を裸にしたときに区別がつかないので、一つの人形の左の乳の上に梅の模様をかきいれました。それは姉妹のそこに梅の花のような形をした痣《あざ》があったからです。姉妹は小さいときから仲がわるかったのですが、年頃になってからついに一人の男を争うようになりました。この争いは姉の勝利となり、姉はその男と結婚
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