ろう。
 二人の遍路は、君子の家に泊まったその日一日だけこの村に現われたものではなかったらしい。ほとんど二、三年にわたって、五、六回もこの村に現われ、たれか、この村に病人はいないかと尋ね、病人がないということを確かめると、そのまま村を去って行ったと言い、たまたま病人のあることを聞くと、それがどこの家であるかを確かめておきながら、その病家には姿を現わさず、そのまま隣村の方へ行ってしまったという。それが君子の家に病人があり、その病人が君子の母であること確かめて、泊まりこんだものであることが、父の死後村の人達の話で分かったということである。だからこの二人の遍路が当然父の死に関係のある怪しいものだと思わなければならないはずであるが、君子は祖母から、この二人の遍路が父を殺したのだ、というような話をすこしも聞いたことがないように思う。あるいは君子が忘れてしまったのかもしれない。それとは反対に父の死を肯定《こうてい》するような祖母の話が、君子の耳の底にかすかに残っている。
 母は、東を向いておれと言えば一年でも東を向いている、西を向いておれと言えば三年でも西を向いていると言ってもいいほど従順で、まるで仏様のような女であった。その従順な母が、金のお札をあれほどまでにかたく拒んだのは必ずや仏様のお告げがあったに違いない。父がすぐにそれを飲んだのは仏様の罰《ばち》が当たったのであろう。
 君子の記憶に間違いがなければ、父は仏様から罰を与えられるような原因があったのであろうか、そういえば父が近郷近在に聞こえるほど善根を培《つちか》うことに、なにか原因がありはしなかったか。祖母は実子である君子の父についてはあまり多くを語らなかったようである。それと反対に嫁である君子の母のことには毎日毎夜聞かぬ日とてないほど、数多く語ったように思う。
 母は父の後妻で父とは年が二十以上も若かったそうで、顔も心も美しく、君子が生まれる前に死んだ、君子にとっては異母兄である継子《ままこ》をとても可愛がったということである。文字どおりの美人薄命であったのか、よはど不仕合せな目に会ってきた人らしく、ことに、父のところへくる以前に嫁《か》たづいていた家から不縁になり、その家を追われた事情にはなみ一通りならぬ口惜《くや》しい、悲しい事情があったらしいのであるが、母はそれを一口も口には出さなかったそうである。それが、父の
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