たそうである。
いま一人の遍路も女であった。それは君子の母と同じ年頃の三十七、八歳かと思われたが、この女は鼠色のお高祖頭巾《こそずきん》ですっぽりと顔まで包んで、出ているところといっては目だけであった。その目元はいかにもすずしく、美しい目であったそうな。この遍路は部屋のなかでも、食事のときでさえお高祖頭巾をとらず、問わず語りに、業病のためにふた目とは見られぬ醜《みにく》い顔になっているので、頭巾をかぶったまま、こうしてお大師様におすがりしている。と言ったそうである。
白髪の老女も、このお高祖頭巾の遍路も、普通の遍路も変わりがない服装をしていたが、どこかに上品なところがあって、いわゆる乞食遍路ではなく信心遍路であることが一目で分かった。
このお高祖頭巾の女遍路は、よほど祖母の注意をひいたものらしい。それは女遍路が君子の母に生き写しで、お高祖頭巾の間からのぞいている目なぞ、まるで、君子の母の目をそこに移しかえたようで、その姿|容《かたち》なぞ瓜二つと言ってもおよばぬほどよく似ていた。もし、この女遍路がお高祖頭巾をかぶっていなかったら、どちらが君子の母か分からぬほどであったそうな。
二人は偶然に泊まり合わせたように装っていたが、どうやら同行であるらしく、それも主従の間柄で、老女はお高祖頭巾をかぶった女の召使のように感じられたと言う。
君子が祖母からこの二人の遍路の話を聞くときは、それが父の殺された当夜の物語であるだけに子供心にも、なにか恐ろしい怪談でも聞かされるように、薄気味わるく身を縮めたものである。今では記憶も薄らいで生々しい感じではないが、この二人の姿が、ふと心に浮かんでくると、父の臨終、白髪の老女、お高祖頭巾の尼遍路なぞ、まるで地獄の絵図でも見るような気がする。
それだけにこの幻像はしばしば、もっとも多く君子の心に浮かんでくるのである。
二人の遍路が泊まった日の四、五日前から君子の母は高い熱を出して床についていた。首すじにぐりぐりができて、高い熱のために苦しみとおした。だから、こうした二人の女遍路が泊まっていることなぞ知るはずがなかった。医者のある町までは二里もある田舎であったし、また、村では、みなたいていの病気では医者なぞ迎えるものがなかった。君子の父は自分が四国遍路のときに携えたありがたいものだという杖を持ち出して寝ている病人の頭を撫でたり、呪《
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