あてて、前後の事情をはっきりと知りたいためであった。
 今年も涼しい風が立ちはじめると君子達は南にむけて旅をつづけた。ある日、初日の商売を終わったその夜、その日の稼ぎが多かったためか、親方はいつもより酒を過ごして、またしても君子に挑《いど》みかかった。君子がはげしく拒《こば》むと酒乱の親方は、殺してやる、といって、出刃包丁を振りまわすという騒ぎだった。その夜あまり度々のことに辛抱しかねたか、親方のおかみさんはついに君子を逃がしてくれた。それも旅で知り合った女《ひと》が堅気《かたぎ》になって、五里ばかり離れた町に住んでいるからと言って、添書《てんしょ》をしてくれた。
 君子は、こればかりは手離されずに持っている風呂敷包みの人形をさげて暗い夜道を歩いた。こうして君子は十年という長い間の旅芸人から足を洗うことができた。
 親方のおかみさんが添書してくれた家にたどり着いた翌日、人気のないところで君子は風呂敷包みにしていた人形をそっと出して見た。それはながい間風呂敷に包んでいたので、どこか損じたところでもありはせぬかと案じたためだった。幸いに人形はどこも損じてはいなかったが、着物はとてもひどく着くずれがしていた。君子は着物を着せ直してやるつもりで帯を解いて着物を脱がした。君子がこの人形を持ってから十二、三年になるが着物を脱がしたのはこの時が初めてである。祖母が死んでから子守奉公、それから一日二日とあわただしい旅芸人、今日の日まで君子には人形の衣裳を脱がして見るほど落ち着いた気持ちの時がなかったのである。
 人形を裸にして見た君子は、そこに不思議なものを発見した。人形の左の乳の上あたりに梅の花のような格好の模様が黒々と描かれてあった。それは決して最初からあった人形の傷ではない。あとから墨で書き入れたものであることが明らかだった。
 何気なく人形の背中を見ると、そこには『抱茗荷《だきみょうが》の説』と、書かれてある。もし君子の記憶に抱茗荷の紋がなかったら、なんのことか分からなかったに違いない。だが、なんのために、こんなものが書かれてあるのか、そしてそれが何を意味しているのか、いくら考えても君子には分からなかった。君子は、この不思議を、そっとそのまま人形の着物に包んでおくよりほかにしかたがなかった。
 君子は旅の十年間、知らぬ土地へ行くと、このあたりに湖のような大きな池はないかと尋
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