がい》は浮いていたのである。
君子は、この老人の顔を、しっかり記憶していたつもりだった。それはこの老人の死骸を見せてくれただけでなく、君子を祖母のところにまで送りとどけてくれたのであるから。だがよく覚えていたつもりの老人の顔も、年を経《へ》るにしたがって曖昧《あいまい》になり、その後に知った木賃宿《きちんやど》の主人《あるじ》や、泊まり合わして心安くなった旅芸人の老人なぞの顔とごっちゃになり、まったく記憶の外に逃げ去って、今では思い出すことさえできなくなっている。あるいはよく覚えていたと思うことさえたのみにならぬことであったかもしれない。もちろんこの地方の豪家らしい家のことなぞ、夢のようにしか記憶に残っていない。
祖母の語ったところによると、君子と母が発足してから六日目の夜、君子は一人で大きな人形を抱いて掘っ立て小屋に帰ってきたということである。お母さんはどうしたか。と尋ねても、ただ大きなご門のなかにはいったまま出てこなかったということ、お母さんは死んでお池のなかに浮いていた、というだけで、なにを尋ねても要領を得ず、誰と一緒に帰ってきたのかと聞くと、よその伯父さん、と答えるだけで、どうして母が死んだのか、誰が送ってきたのか皆目《かいもく》見当がつかなかったそうである。祖母は君子が抱いて帰った人形になにか手がかりはないかと捜してみた。人形は菊菱の紋を散らした緋縮緬の長襦袢をつけ、紫紺に野菊を染め出した縮緬の衣裳を着ていた。帯はなんという織物か祖母には判断がつかなかったが時代を経た錦であることは間違いはなく、人形はどこ出来であるか分からなかったが、相当に年代を経たものらしく、また着ている衣裳なぞも、とても今出来の品ではなかった。そのように古色を帯びたものではあったが、よはど大切に扱われていたものとみえ、髪の毛一筋抜けてはおらず、すこし赤茶気た顔はかえって美しさを増していた。いずれにしてもむずがる子供をあやすために持たせたにしては高価で貴重にすぎる品には違いなかった。しかし、この人形からは不思議な君子の母の死を知る手掛りはなに一つ見出せなかったということである。
それからの祖母は、君子の母が死んだものとは、どうしても思えぬと言いつづけたが、すでに年をとって身体も自由でなく、気も心も萎《な》えきった祖母は、しまいには諦《あきら》めたらしく、家の暮しがあまりに苦しいので
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