を公けにされざるは大遺憾なり。よって少しく管見を述べんに、久米〔邦‖武〕博士の『南北朝史』に見えたるごとく、南北朝分立以前、本邦の土地は多くは寺社の領分たり。したがって、著名の豪族みな寺社領より起これり。近江の佐々木社より佐々木氏、下野の宇都宮の社司より宇都宮氏、香椎・宇佐の両社領より大友氏勃興せるがごとし。しかるに、今むやみに合祀を励行し、その跡を大急ぎに滅尽し、古蹟、古文書、什宝、ややもすれば精査を経ずに散佚亡失するようでは、わが邦が古いというばかりで古い証拠なくなるなり。現に和歌山県の県誌編纂主裁内村義城氏は新聞紙で公言すらく、今までのような合祀の遣り方では、到底確実なる郷土誌の編纂は望むべからざるなり、と。すでに日高郡には大塔宮が熊野落ちのおり経過したまえる御遺蹟多かりしも、審査せぬうちに合祀のために絶滅せるもの多しという。有田郡なども南朝の皇孫が久しく拠りたまえる所々を合祀のために分からぬことと成り果たしたり。
また一汎人は史蹟と言えば、えらい人や大合戦や歌や詩で名高き場所のみ保存すべきよう考うるがごときも、実は然らず。近世欧米で民俗学《フォルクスクンテ》大いに起こり、政府
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