演じ、硫黄で燻べんとか、テレビン油を撒かんとか、愚案の競争の末、ついにこのたび徳川侯へ払い下げとなったが、死骸を貰うた同前で行く先も知れておる。
むかし守屋大連《もりやのおおむらじ》は神道を頑守して仏教を亡ぼさんとし、自戮せられて啄木鳥《てらつつき》となり、天王寺の伽藍を啄《つつ》き散らせしというが、和歌山県当局は何の私怨もなきに、熊楠が合祀に反対するを悪《にく》み、十八昼夜も入監せしめたから、天、白蟻を下し、諸処を食い散らされたものと見える。ただ惜しむべきは、和歌山城近くに松生院《しょうしょういん》とて建築が国宝になっておる木造の寺がある。この寺古え讃岐にありしとき、その戸を担架として佐藤継信負傷のままこの寺にかつぎ込みしという。これも早晩城から白蟻が入り来たり、食い崩さるることならん。蟻吸のことは学者たちの研究を要す。今は和歌山辺に見えず、田辺近傍へは少々渡るなり。合祀が民利に大害あること、かくのごとし。
第七に、神社合祀は史蹟と古伝を滅却す。史蹟保存が本邦に必要なるは、史蹟天然物保存会の主唱するところなれば、予の細説を要せず。ただし、かの会よりいまだ十分に神社合祀に反対の意見
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