3]爾《さいじ》たる軽き建築ゆえ、わざわざこんな物を見に来るより、自国におりて広重や北斎のむかしの神社の浮世絵を集むるがましと長大息して、去りて再び来たらず。
 邦人はまた急に信仰心が薄くなり、神社に詣るも家におるも感情に何の異《かわ》りなく、その上合祀で十社二十社まるで眼白鳥《めじろ》が籠中に押し合うごとく詰め込まれて境内も狭くなり、少し迂闊《うか》とすれば柱や燈架《ガスとうだい》に行き中《あた》り、犬の屎《くそ》を踏み腹立つのみ。稲八金天大明権現王子《いなはちこんてんだいみょうごんげんのおうじ》と神様の合資会社で、混雑千万、俗臭紛々|難有味《ありがたみ》少しもなく、頭痛胸悪くなりて逃げて行く。小山健三氏、かつて日本人のもっとも快活なる一事は休暇日に古社に詣り、社殿前に立ちて精神を澄ますにあり、と言いしとか。かかることはむかしの夢で、如上の混成社団に望むべくもあらず。およそいかなる末枝小道にも、言語筆舌に述べ得ざる奥儀あり。いわんや、国民の気質品性を幾千年養成し来たれる宗教においてをや。合祀は敬神思想を盛んにすと口先で千度説くも何の功なきは、全国で第二番に合祀の多く行なわれたる和歌山
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