集めて『摩訶般若心経』を講じて虜《とりこ》となり餓死せしに異ならん。むかし張角乱を作《な》せしとき、漢廷官人の不心得を諷して向翔と言える人、兵を将《ひき》い河上に臨み北向して『孝経』を読まば賊必ず自滅すべし、と言えり。また北狄《ほくてき》が漢地を犯せし時、太守宋梟、涼州学術少なし、故にしばしば反す、急に『孝経』を多く写させ家々習読せしめば乱たちまち止みなん、と言えり。神社合祀で危険思想を取り締らんとするは、ほとんどこの類なり。
 和歌山県の神主の総取締りする人が新聞で公言せしは、神社は正殿、神庫、幣殿、拝殿、着到殿、舞殿、神餐殿、御饌殿、御炊殿、盛殿、斎館、祓殿、祝詞屋《のつとや》、直殿、宿直所、厩屋、権殿、遙拝所の十八建築なければ設備全しと言うべからずとて、いかに神林大いに茂り四辺神さびたる神社を見るも、設備足らずとてこれを滅却す。今時かかる設備全き神社が、官国幣社を除きて何所《いずく》にかあるべき。真に迂儒《うじゅ》が後世に井田《せいでん》を復せんとし、渡天の律僧がインドより支那に帰りて雪中裸かで水で肛門を浄むるに等しき愚説なり。神殿は絶えず破損し通すものにあらず。用いようによりて
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