下民は常に命運の薄きを嘆くより、したがって信心によって諦めを啓《ひら》かんとする念深く、何の道義論哲学説を知らぬながらに、姦通すれば漁利|空《むな》し、虚言すれば神罰立ちどころに至ると心得、ために不義に陥らぬこと、あたかも百二十一代の至尊の御名を暗誦せずとも、誰も彼も皇室を敬するを忘れず、皇族の芳体を睨《にら》めば眼が潰るると心得て、五歳の髫※[#「※」は「齒+つりばり」、501−8]《ちょうしん》も不敬を行なわぬに同じ。むつかしき理窟入らずに世が治まるほど結構なることなく、分に応じてその施設あるは欧米また然り。フィンランド、ノルウェーなどには、今も地方に吹いたら飛ぶような木の皮で作った紙製[#「紙製」に〔ママ〕の注記]の礼拝堂あり。雪中に一週に一度この堂に人を集め、世界の新聞を報じ、さて郵便物の配布まで済ませおる。老若男女打ち集い歓喜限りなし。別に何たるむつかしき説法あるにあらず。英国なども、漁村には漁夫|水手《かこ》相応の手軽き礼拝堂あり。これに詣る輩むつかしき作法はなく、ただ命の洗濯をするまでなり。はなはだしきは、コーンウォール州に、他州人の破船多くて獲物多からんことを祈り、立て
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