んだは、その親元たる毘沙門が富の神たると同時に軍神たるに基づく。
さて、中央アジアで毘沙門並びに鼠の崇拝盛んだった時は、金色の大鼠を鼠の王とし、頭の白い鼠をその眷属として専ら祀ったようだ。『嬉遊笑覧』十二上にいわく、番頭の白鼠とは大黒は黒を以て北方の色とし、北方子の位なれば鼠の使者とす。番頭利に賢ければ主人富む。主人は大黒、番頭は鼠のごとしと。しかし上に引いた『異苑』の文を見ると、鼠崇拝の根本地では特に頭の白い鼠を祭ったのだから、その風が支那経由で日本に伝わり、日本でも初めは大黒の使者たる鼠を白頭に画いたであろう。先年スヴェン・ヘジン氏の『亜細亜《アジア》貫通紀行』一八九八年板を出した時、この鼠崇拝の事あるべしと思い読むに見えず、大いに失望したが、その後スタイン氏がその辺を発掘して確かに鼠神の像を獲たと知らせくれた人あり。詳細は今に聞かぬ。金色の鼠は鼠類に金色に光るもの数種あり、それを祀ったであろうと、十二年前の『太陽』に書いて置いたが、あるいは鼠王を勿体《もったい》付くるため祠僧が密《ひそ》かに金色に作り立てたかも知れぬ。『譚海』一一に徳川将軍の世にオランダ人が持ち渡った奇物の内、
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