えた事と惟《おも》う。しかるに蒙古、チベット、日本等の諸国また支那でも十二禽と十二支を同じ名で呼び、もしくは別々に考え能わざる人間はややもすれば十二支を十二禽の精霊ごとく心得るより、鼠の年の男は虎年の女に負けるというて妻を離別したり、兎は馬に踏み潰《つぶ》さるといいて卯年生まれの者が午の方すなわち南へ家を移さなんだりする事多い。さて本元の支那人が十二禽から十二支を別に立てたのはよいが、十干の本たる木火土金水の五行《ごぎょう》をそのまま木火土金水と有形物の名で押し通したから、火は木を焼いて水に消さるなどと相生《そうしょう》相尅《そうこく》の説盛んに、後世雑多の迷信を生じた。こんなに考えると子年だから鼠の話を書くなど誠に気の利かぬ咄《はな》しだが、毎歳やって来たこと故書き続ける。大正十一年出板、永尾竜造君の『支那民俗誌』上に一月七日支那人が鼠の嫁入りを祝う事を載す。直隷の呉県では鼠娶婦。山東の臨邑県では鼠忌という。江南の懐寧県では、豆、粟、粳米等を炒《い》って室隅に擲《なげう》って鼠に食わしめ、炒雑虫(虫焼き)といい、この晩は鼠の事を一切口外せず、直隷永平府地方では、この夜鼠が集って宴会す
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