中にあったからこう言われた、只今は北辰の位置がすべって句陳という星が天の真中に坐り居ると説かれた。漢の石申の『星経』上に句陳は大帝の王妃なりとあれば新しい女どもが跋扈《ばっこ》するももっとも、天さえ女主に支配さるる当世だと見える。かく星宿の名と古今星宿の位置の変移から推した銭氏の説は誠に正説で、クラーク女史が「支那で日の黄道《こうどう》を十二分し、十二禽の名を付け、順次日の進行に逆ろうて行くとしたは珍無類のやり方で支那に起りしや疑いなし」といったごとく(『大英百科全書』十一板、二八巻九九五頁)十二禽なる具体的の名から離れて十二支なる抽象的の象徴を周の支那人が大成したのだ。かくて日本、カンボジア、蒙古人等が鼠牛虎兎というと異なり、子丑寅卯と形而上の物の名で数える事となってより十二支と十二禽を離して念ずる事が出来た。これは日本人がネの日ウシの時といわば多少鼠と牛を想い出せど、字音で子午線と読んではたちまち鼠と馬を連想せず、午前午後と言ったって決して馬の陽物と尻の穴を憶い出せぬで判る。かく十二禽から切り離して十二支の名目を作ったは支那人の大出来で、暦占編史を初めその文化を進むるに非常の力を添
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