ィンが言い、米国のトローが実試した通り、もと諸動物は害心なき人を懼《おそ》れず、追い追い慣れて近づき遊ぶ。その内に物が心なくしてする事も、目が動けば酒食を得るとて呪し、燈に丁字頭《ちょうじがしら》が立つと銭を儲けるとて拝し、鵲《かささぎ》が噪《さわ》げば行人至るとて餌をやり、蜘蛛が集まれば百事|嘉《よろこ》ぶとてこれを放つ、瑞《ずい》は宝なり、信なり。天宝を以て信となし、人の徳に応ず。故に瑞応という。天命なければ宝信なし、力を以て取るべからざるなりと、陸賈《りくか》が樊※[#「口+會」、第3水準1−15−25]《はんかい》に語った通り(『西京雑記』三)、己れの力を量らずひたすら僥倖を冀《こいねが》うが人情だ。漢の魏豹、唐の李※[#「金+奇」、第3水準1−93−23]、いずれもその妻妾は天子に幸せられて天子を生み皇太后となった(『※[#「こざとへん+亥」、361−5]余叢考』四一)。文化十一年春、大阪北の新地の茶屋振舞へ、さる蔵屋敷の留守居が往った。その従僕茶屋の台所にいると、有名な妓女が来て二階へ上らんとして笄《こうがい》を落した。従僕拾うて渡すと芸子|憚《はばか》り様《さま》と言いざ
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