の蔵洪や晋の王載の妻李氏が城を守り、蘇武が胡地に節を守った時鼠を食うたという。しかし『尹文子《いんぶんし》』に周人鼠のいまだ※[#「月+昔」、第3水準1−90−47]《せき》(乾肉)とされないものを璞《はく》というとあるそうだから考えると、『徒然草』に名高い鰹同前、最初食用され、中頃排斥され、その後また食わるるに及んだものか。唐の張※[#「族/鳥」、第4水準2−94−39]《ちょうさく》の『朝野僉載《ちょうやせんさい》』に、嶺南の※[#「けものへん+僚のつくり」、395−6]民、鼠の児目明かず、全身赤く蠕《うご》めくものに、蜜を飼い、箸《はし》で夾《はさ》み、取って咬むと喞々《しつじつ》の声をなす、これを蜜喞《みつしつ》といいて賞翫するとあり。『類函』に引いた『雲南志』に、広南の儂人、飲食美味なし、常に※[#「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2−94−69]鼠《けいそ》の塩漬けを食うとあり。明の李時珍が、嶺南の人は、鼠を食えどその名を忌んで家鹿と謂うと言った。して見ると鼠は支那で立派な上饌《じょうせん》でない。一七七一年パリ板ターパンの『暹羅《シャム》史』にいわく、竹鼠は上饌なり、常鼠に似て尾赤く、毛なく、蚯蚓《みみず》のごとし。猫ほど大きく、竹を食い、殊に筍《たけのこ》を好む。家ごとに飼うに、人に馴れて、常鼠を殺せど、その害は常鼠に過ぎたりと。これは支那で竹※[#「鼬」の「由」に代えて「留」、395−12]《ちくりゅう》一名|竹※[#「けものへん+屯」、第4水準2−80−31]《ちくとん》、※[#「けものへん+屯」、第4水準2−80−31]は豚と同じく豕の子だ、肥えて豚に似る故名づく。蘆《あし》の根をも食う故、菅豚ともいう。竹の根を食う鼠で土穴中におり、大きさ兎のごとし、人多くこれを食う。味鴨肉のごとし、竹刺《ちくし》、人の肉に入りて出ざる時これを食えば立所《たちどころ》に消ゆる。福建の桃花嶺に竹多くこの鼠実に多し(『本草綱目』五一下。大阪板『※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]書《びんしょ》南産志』下)。これはリゾムス属の鼠で、この属に数種あり、支那、チベット、インド、マレー諸島に住む。日本にも文化の末、箱根山に鼠出で竹の根を食い竹ことごとく枯れた。その歯強くてややもすれば二重網を咬み破ったとさ(『即事考』四)。安政二年、出羽の代官からかようの鼠に関し
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