。『抱朴子』に曰く、鼠寿三百歳なり、百歳に満つる時は色白く、善く人に憑《たの》みて下る、名を仲という。一年中の吉凶および千里外の事を知る云々。白色に瑞物多ければなり、世に珍かなるものを貴むは習いなり。古ローマ人や今のボヘミヤ人それからビーナン等に住むマレー人いずれも白鼠を吉兆とし(プリニウス八巻八二章。フレザー『金椏篇』初板三章。一八五六年シンガポール刊行『印度群島および東亜細亜雑誌』二輯二巻一六五頁)、本朝には『治部式』所載祥瑞百四十四種中に鼠全く見えねど、〈大同四年三月|辛酉《かのととり》山城国白鼠を献ず〉(『日本|後紀《こうき》』一七)などあれば、白鼠は瑞とされざるまでも珍とされたに相違なし。これを大黒天の使い物とする事、『源平盛衰記』一に清盛|内裏《だいり》で怪鼠を捕うる記事中、鼠は大黒天神の仕者なり、これ人の栄華の先表なりとある。特に白鼠と書いていないが、多分その頃既に白鼠を尊んだものと察する。
 インドのガネサ、中央アジアの毘沙門、日本の大黒天の使い物としてほど盛大にないが、多少鼠を神物と信ずる風習はこの三国のほかにもある。またこの三神に関係なしにも存した。古エジプト人は上述クサタナ国の鼠王同様ヒミズを神とし祈って大敵を破った(ローリンソンの『ヘロドトス』二巻一八九章)。これは英国でシュリウ・マウスと称え、俗に鼠と心得、支那で地鼠、本邦でノラネまたジネズミ、日光を見れば死すとてヒミズと呼び、鼠に似た物だがその実全く鼠と別類だ。コンゴ国には鼠を神林の王とし、バガンダ人は、ムカサ神がキャバグ王のその祠堂を滅せしを怒り、群鼠をして王の諸妃を噛み殺させた話を伝う(一九〇六年板、デンネットの『黒人の心裏』一五三頁。一九一一年板ロスコーの『バガンダ人』二二四頁)。日本にも三善為康《みよしのためやす》の『拾遺往生伝』中に、浄蔵大法師を謗《そし》った者その日より一切の物を鼠に食わる。本尊夢の告げに予《かね》てより薬師の十二神将が浄蔵を護る、その日の宿直が子の神だったから鼠害を受くるのだと。子の日の神将名は毘羯羅《びから》、これは毘沙門や大黒と別口の神で、中央アジアで支那の十二支をインド出の十二神に配して拵えたものと見える。
 かく鼠が神の使となって人を苦しむるよりこれを静めんとて禁厭《まじない》を行うたり、甚だしきは神と斎《いつ》き祈った例もある。クルックの『北印度の俗
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