走り大黒くらいに痕跡を留め、後には専らこれを愛し使うよう思わるるに及んだのだ。『淇園《きえん》一筆』に、大内《おおうち》で甲子祭《きのえねまつり》の夜|紫宸殿《ししんでん》の大黒柱に供物を祭り、箏《こと》一張で四辻殿林歌の曲を奏す。これ本より大極殿の楽なり、この曲を舞う時、舞人甲に鼠の形をつけ、上の装束も色糸で幾つも鼠を縫い付くるとある。これも大黒に縁ある甲子の祭りにその使い物の鼠を愛し翫《あそ》ぶようだが、本は鼠が大黒柱を始め建築諸部を損ぜぬよう、鼠を捉うるまねしてこれを厭勝《ようしょう》したのであろう。
今日ボンベイ辺の下等民は鼠を鼠叔父と呼び、鼠と呼ぶを不吉とす。これは本邦で鼠を正月三ヶ日はヨメとのみ言った同然|忌詞《いみことば》だが、真に叔父死して鼠となると思う者もあるらしい(クルック、二四二頁)。ドイツの俗信に死人の魂は鼠となる、家の主人死すれば家内の鼠までも出で去るという。サルマチア王ポペルス二世その伯叔父を暗殺し、屍骸を川に投げ込むと鼠となって王夫婦を殺した(グベルナチス、二巻六七頁)。ポーランド王ポピエル悪虐|度《ど》に過ぎしを諫《いさ》めた者あり。王病と詐《いつわ》りその輩を召して毒殺し、その屍を湖に抛《な》げ入れて安心し酒宴する席へ、夥しい鼠が死体から出て襲来した。王|惧《おそ》れて火で身を囲うと鼠ども火を潜《くぐ》って付け入る。妻子同伴で海中の城に遁《のが》れると鼠また来って食い殺した(ベーリング・グールドの『中世志怪』四五三頁)。チュリンギアで下女一人眠り、朋輩は胡桃《くるみ》を剥《は》ぎいた。見ると眠った者の口から魂が鼠となって這い出し窓外に往った。起せど起きぬから他室へ移した、暫《しばら》くして戻った鼠が下女の体を求めど見えぬ故消え失せた。同時に下女は睡ったまま死んだという(コックスの『民俗学入門』四三頁)。本邦でも『太平記』に見えた頼豪《らいごう》阿闍梨《あじゃり》、『四谷怪談』のお岩など冤魂が鼠に化けたとした。西暦六世紀にバーガンジー王たりしゴンドランが狩りに疲れて小流の側に睡る。侍臣が見て居る内、王の口より小さい獣一疋出て河を渡らんとして能わず。侍臣剣を抜きて流れに架すとそれを歩んで彼方《かなた》の小山の麓《ふもと》の穴に入り少時の後出て剣を踏んで王の口に還り入った。その時王|寤《さ》めて、われ稀代の夢を見た、譬《たと》えば磨いた
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