ンカン民俗記』八四頁)、追い追い鼠を廃し女神を代用したと見える。
明治二十四、五年の間予西インド諸島にあり落魄《らくはく》して象芸師につき廻った。その時象が些細な蟹や鼠を見て太《いた》く不安を感ずるを睹《み》た。その後《のち》『五雑俎』に象は鼠を畏《おそ》るとあるを読んだ。また『閑窓自語』を見るに、享保十四年広南国より象を渡しし術を聞きしに「この獣極めて鼠をいむ故に、舟の内に程《ほど》を測り、箱のごとき物を拵え鼠をいれ、上に綱をはりおくに、象これをみて鼠を外へ出さじと、四足にてかの箱の上をふたぐ、これに心を入るる故に数日船中に立つとぞ。しからざれば、この獣水をもえたる故に、たちまち海を渡りて還るとなん」とあり。この事和漢書のほかまたありやと疑問を大正十三年ロンドン発行『ノーツ・エンド・キーリス』一四六巻三八〇頁に出したを答えが出ず、かれこれするうち自分で見出したから十四年七月の同誌へ出し英書にこの事記しあるを英人に教えやった。すなわち一九〇五年ロンドン出板ハズリットの『諸信および俚伝』一の二〇七頁に「観察に基づいた信念に、象は野猪の呻き声のみならずトカゲなどの小さい物に逢っても自ら防ぐ事むつかしと感じ駭《おどろ》くという事あり、欧州へ将来する象を見るに藁の中に潜むハツカ鼠を見て狼狽《ろうばい》するが常なり」と載す。かく象が甚《いた》く鼠を嫌う故、大黒が鼠を制伏した体を表わして神威を掲げた事、今日インドで象頭神ガネサが鼠にのる処を画き、昔ギリシアのアポロ神がクリノスより献じた年供《ねんぐ》を盗んだ鼠を射殺したので、その神官が鼠に乗る体を画いたと同意と考う。と書きおわってグベルナチス伯の『動物譚原』二の六八頁を見るに、ガネサは足で鼠を踏み潰すとある故、ますます自見の当れるを知った。古ローマの地獄王后ブロセルビナの面帽は多くの鼠を散らし縫った(一八四五年パリ板、コラン・ド・ブランシーの『妖怪辞彙』三九三頁)。鼠は冬蟄し、この女神も冬は地府に帰るを表わしたのだ。それから推して大黒足下の女神は鼠の精と知れる。されば、増長、広目《こうもく》二天が悪鬼毒竜をふみ、小栗《おぐり》判官《はんがん》、和藤内《わとうない》が悍馬《かんば》猛虎に跨《またが》るごとく、ガネサに模し作られた大黒天は初め鼠を踏み、次に乗る所を像に作られたが、厨神として台所荒しの鼠を制伏するの義は、上述中禅寺の
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