と尊んだらしい。カンボジアでも伝来の金剣を盗まば王となり、これなくば太子も王たるを得ず(『真臘《しんろう》風土記』)。支那で将軍出征に斧鉞《ふえつ》を賜うとあるは三代の時これを以て人を斬ったからで、『詩経』に武王鉞(マサカリ)を執ればその軍に抗する者なかったとある。上古の人が遺した石製の斧や槌は雷斧、雷槌など欧亜通称して、神が用いた武器と心得、神の表徴とした。博物館でしばしば見る通り、中には斧とも槌とも判らぬ間《あい》の子的の物も多い。王充の『論衡』に、漢代に雷神を画くに槌で連鼓を撃つものとしたとあれば、その頃既に雷槌という名はあったのだ。古ギリシアローマともにかかる石器を神物とし、今日西アフリカにおけるごとく、石斧に誓うた言をローマ人は決して違《たが》えず。契約に背《そむ》いた者あれば祝官石斧を牲豕に投げ付けて、弁財天また槌を持つらしい。『大方等大集経《だいほうどうだいじっきょう》』二二には、過去九十一劫|毘婆尸仏《びばしぶつ》の時、曠野菩薩誓願して鬼神を受けて悪鬼を治す。金剛槌の呪の力を以て一切悪鬼をして四姓に悪を為《な》す能わざらしむ。『一切如来大秘密王|微妙大曼拏羅経《みみょうだいまんだらきょう》』一には、一切悪および驚怖障難を除くに普光印と槌印を用ゆべしとある。槌を勇猛の象徴としたほど見るべし。仏教外にはエトルリアの地獄王キャルンは槌を持つ。本邦にも善相公《ぜんしょうこう》と同臥した侍童の頭を疫鬼に槌で打たれ病み出し、染殿后《そめどののきさき》を犯した鬼が赤褌に槌をさしいたといい、支那の区純《おうじゅん》ちゅう人は槌で鼠を打ったという(一八六九年板、トザーの『土耳其《トルコ》高地探究記』二巻三三〇頁。『政事要略』七〇。『今昔物語』二〇の七。『捜神後記』下)。いずれも槌がもと凶器たり、今も凶器たり得るを証する。(大正十五年九月八日記。蒙昧《もうまい》の民がいかに斧を重宝な物とし、これを羨んだかは、一八七六年板ギルの『南太平洋の神誌および歌謡』二七三頁註をみて知るべし。)ジュピテル大神、この通り違約者を雷で打てと唱えた。北欧では誓約に雷神トールの大槌ムジョルニルの名を援《ひ》いてした。それが今日競売の約束固めに槌で案《つくえ》を打つ訳である(一九一一年板ブリンケンベルグの『雷の兵器』六一頁)。
刀鎗弓矢の盛んに用いられた世に刀鎗を神威ありとしたごとく、石器時
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