ている骨董舗《こっとうや》に奉公と極《きま》った時予は帰朝の途に上った故その後どうなったか知らぬ。この人については無類の奇談夥しくなかなか一朝夕に尽されない。就中《なかんずく》、その討ち死にのしようがまた格別の手際《てぎわ》で見聞く呆《あき》れざるはなかった。
 さて、予帰朝後この田辺の地に僑居《きょうきょ》し、毎度高橋入道討ち死にの話を面白く語った。その頃大阪堀江に写真を営業する田辺人方へ紀州の人が上るごとに集まり、件《くだん》の話に拠ってこれから討ち死にに出掛けようじゃないかなどいう。それより弘まって紀州人の知った芸妓はもとより、紀の庄店などでも、討ち死にといえば底叩きの大散財と分らぬ者なしと聞いたは早二十年ばかりの昔で、今はどうなったか知らぬ。しかるにその後『改定史籍集覧』二五所収、慶長十八年頃書かれたところといわるる『寒川《さむかわ》入道筆記』を見るに、「とにかくに、右のようなる事どもをきけば気の毒じゃ、聞かぬがよい、かように治まりたる御代には太刀を鞘《さや》に納め弓をば袋に入れて置いても、その身その身の数寄《すき》数寄《すき》に随い日を暮し夜を明かし慰むべき事じゃ、千も万も入
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