らず、当時無敵は若衆様と腎を働かし討ち死にしょう事じゃ、しからざれば若衆の御袋様と(以下欠文)」とあり。思うさま楽しむを討ち死にといったので高橋入道の言と同義だ。しかし入道はこの『記』を読んで後に言い出したのでは決してない。要は期せずして偶合したので、久しい歳月の間に、こんな事は多くあろう(宝永五年板『風流門出加増蔵』(『西鶴置土産』の剽窃物)三ノ二、伊勢町の大盃といえる大尽云々、六十を過ぎて鬢付《びんつけ》嗜《たしな》み女郎と討ち死にと極めて銀使いける云々)。
安永五年板、永井堂|亀友《きゆう》の『世間仲人気質』一に「僕もと京師《けいし》の産、先年他国へ参り夜とともに身の上|咄《ばな》しを致せしが、物語りの続きに、その時は私も、ちゃっちゃむちゃくでござりました、といいたれば、他国人が大いに笑いちゃっちゃむちゃくとは何の事じゃ、そのような詞が京にもあるか、ただしは亀友の一作か、これは可笑《おか》しい、これは珍しやと申して一同一座の興を催しましたが、その国でそれからこの俗言が流行《はや》りますと年始状の尚々書《なおなおが》きに申して上せましたくらい、さて当年で四十九年以前、三月上旬の頃
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