シガン州アンナボアに佐藤寅次郎氏と野原の一つ家に住み、自炊とは世を忍ぶ仮の名、毎度佐藤氏が拵《こしら》え置いた物を食って出歩く。厳冬の一夜佐藤氏は演説に出で、予一人二階の火も焚《た》かざる寒室に臥せ居ると、吹雪しきりに窓を撲《う》って限りなくすさまじ。一方の窓より異様の感じが起るので、少しく首を転じて寝ながら睹《み》ると、黒紋付の綿入れを着た男が抜刀を提《ひっさ》げて老爺を追うに、二人ながら手も足も動かさず、眉間尺《みけんじゃく》の画のごとく舞い上り舞い下りる。廻り燈籠《どうろう》の人物の影が、横に廻らず上下に旋《まわ》ったらあたかも予が見た所に同じ。しかし影でなくて朦朧《もうろう》ながら二人の身も衣装もそれぞれ色彩を具えた。地体《じたい》この宅従前住人絶え家賃すこぶる低廉なるは、日本で見た事もない化物屋敷だったのを世話した奴も不届《ふとどき》だが、佐藤は俺より早く宿ったから知っていそうなものと、誰彼を八ツ当りに恨みながら見れば見るほど舞って居るのは、本国の田舎芝居の与一と定九に相違ないので、雪降りの山崎街道も聞き及ばねば、竹田|出雲《いずも》が戯作の両人がふるアメリカへ乗り込む理窟も
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