得手録』四輯)。自分が愛する物を食うは愛の意に戻《もと》るようだが、愛極まる余りその物を不断身を離さずに伴うには、食うて自分の体内に入れその精分を我身に吸収し置くに越した事がない。猫が人に子を取らるるを患《うれ》いてその子を啖《く》い(ロメーンズの『動物の智慧』一四章)、諸方の土蕃が親の尸《しかばね》を食い、メキシコ人等が神に像《かたど》った餅を拝んだ後食うたなども同義である。わが邦の亥の子餅ももと猪を農の神として崇めた余風で、猪の形した餅を拝んだ後食ったらしい。この事は後に論じよう。[#地から2字上げ](大正十二年一月、『太陽』二九ノ一)
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ロメーンズの『動物の智慧』十一章に挙げた諸例を見ると、豕を阿房《あほ》の象徴とするなどは以てのほかと見える。その略にいわく、豕の智慧は啖肉獣(犬猫等)のもっとも賢いものに比べると少し劣るのみなるは、学んだ豕とて種々の巧技を演ずるを見ても首肯し得る。豕がなかなか旨く門戸の鎖《とざし》を開くは、ただ猫のみこれに比肩し得る。ツーマー兄弟なる者豕を教えて二週間の後|禽《とり》の在所を報ぜしめ、それより数週後に獲物を拾い来らしめた。そ
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