往来すこぶる自在で、妻妾の室の入口に女客の靴あらば、夫も遠慮して引き還す。故に女装の男子容易に奸を行う(一八四六年パリ版、コンブ『埃及《エジプト》行記』二三頁)。これら諸国に常習の女装男子、男装女子あり。また半男女《ふたなり》また閹人《えんじん》あり。各男装女装して事を行えばその犯罪夥しく社会動揺少なからず。仏国のデオンごとき男子女装して常に外交や国事探偵に預かり、死尸《しかばね》を検するまで男女いずれと別らず、大いに諸邦を手古摺《てこず》らせた。
 支那の明の成化間石州の民|桑※[#「栩のつくり+中」、331−7]《そうちゅう》、幼より邪術を学び纏足《てんそく》女装し、女工を習い寡婦を粧《よそお》い、四十五州県に広く遊行し人家好女子あらば女工を教うるとて密処に誘い通ず。女従わざれば迷薬呪語もて動くも得ざらしめ辱《はずか》しむ。女名を敗るを畏《おそ》れついに口外せず。かくのごとく数夕してすなわち他処に移る故久しくても敗れず。男子の声を聞かば奔《はし》り避けた。かくのごとき事十余年、河南北、直隷、山東、山西に※[#「彳+編のつくり」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第3水準1−84−34]遊して大家の室女百八十二人を汚す。後《のち》晋州に至り高秀才の家に宿る。その婿趙文挙|酷《ひど》く寡婦を好み、自分の妻を妹と詐《いつわ》り、延《ひ》き入れて同宿せしめ中夜にこれに就くに※[#「栩のつくり+中」、331−13]大いに呼んで従わず。趙無理やりその衣を剥げば男子なり。官に送り糾明するに実を吐き、その師大同の谷才この術を行うたが既に死んだ。その党任茂、張端等十余人各途を分ち非行すと。急ぎ捕えて罪定まり皆|磔殺《たくさつ》された。※[#「栩のつくり+中」、331−15]の門人王大喜その術をその弟王二喜に伝え、二喜十八、九歳の艶女に化け裁縫絶巧兼ねて婦女を按摩《あんま》す。かくて行う事久しからず、やっと十六人に施した後《のち》東昌に至り、馬万宝の隣家に宿る。一度嫁したが舅姑に虐げられて脱れ出たという。馬これを垣間見《かいまみ》、瓢金《ひょうきん》なその妻と謀り自分は飲みに出たと称し妻をして疾に托して王を招かしめた。さて妻が厨舎の門を閉づるとて燭を隠し出で往いた跡へ素早く馬が入れ替り居るとは白歯の似せ娘、馬をその妻と心得按腹する指先で男と判《わか》り、逃げかかる処を馬が止め検すればこれ
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