は、蠍の腹に脚の変態で櫛《くし》と名づくる物一対あり。その作用について欧人の説が臆測に過ぎずと察せられたからで、種々生品を観察して果して臆断と判った。それと同時に先人未発の珍事を発見したというは、皆人の知る通り、猫の四足を持って仰向けに釣り下げて高い庭から落すと、たちまち宙返りをして必ず四足を地上に立つる。一八九四年刊行『ネーチュール』五一巻八〇頁に出たマレー氏の写真でもよく判る。しかるに予蠍を小さい壺に入れ細かい金網を口に張って蓋とし置くと、蠍先生追い追い壺の内壁を這い上って件《くだん》の網の表を這い、予をして遺憾なくかの櫛の作用を視察せしむ。かくする内、予ふと指で網面を弾《はじ》いて蠍を落すごとに、蠍はたちまち宙返りして腹を下にして落ち着く。この蠍、頭の端尖から尾の先まで四五―五七ミリメートルで、金網の裏面より落ち著く砂上まで四〇―五〇ミリメートル。されば自分の身長よりも短い間でかく宙返りをやらかすは、奇絶だとだけ述べ置く。むつかしい研究故詳しくは言えない。
『淵鑑類函』四三六に、『孔帳』に曰く扶南《ふなん》人喜んで猪を闘わすとある。『甲子夜話』一七に家豕の闘戦を記して、畜中の沈勇なるものというべきかと評す。『想山著聞奇集』五に、野猪|熾《さか》り出す時は牝一疋に牡三、四十疋も付き纏《まと》うて噛み合い、互いに血を流し朱になっても平気で群れ歩く。この時は色情に目暮れて人をも一向恐れず、甚だ不敵になり居ると載す。『中阿含経』一六にいわく、大猪、五百猪の王となって嶮難道を行く、道中で虎に逢い考えたは、虎と闘わば必ず殺さるべし。もし畏《おそ》れ走らば諸の猪が我を侮らん。何とかこの難を脱したいと念《おも》うて虎に語る。汝我と闘わんと欲せば共に闘うべし。しからずんば我に道を借して過ぎしめよと。虎曰く共に闘うべし、汝に道を借さずと。猪また語るらく、虎汝暫く待て、我れ我が祖父伝来の鎧《よろい》を著《つ》け来って戦うべしという。虎心中に、猪は我敵にあらず、祖父の鎧を著《き》たって何ほどの事かあらんと惟《おも》い、勝手にしろというと、猪還って便所に至り身を糞中に転《ころ》がし、眼まで塗り付け、虎に向って汝闘わんとならば闘うべし。しからずば我に道を借せという。虎これを見て我常に牙を惜しんで雑小虫をすら食わず。いわんやこの臭猪に近付くべけんやと、すなわち猪に語って、我汝に道を借す、汝
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